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 何かの香りがシエラの鼻腔を蕩かす。  今まで嗅いだことのない甘い匂い。花でも果実でなもい。知らない香り。  その正体を知りたくてシエラは重い瞼を動かして薄く瞳を開いた。 「驚いた。生きてた」  突然耳に割って入ってきた知らない男の声に驚き、一気に瞼を開いたせいで窓から差し込む太陽の光に目が眩んだ。シエラは小さく呻いてもう一度ゆっくり瞼を開き、今度は香りでなく、その声の方へ目を動かした。 「……だれ?」  何重にも滲んでなかなか視点の合わなかったその姿がようやくはっきり認識出来た。  男は大きく開かれた窓の傍に立っており、背はシエラよりずっと高く、年もやや上に思えた。シエラと違って肌はうんと白く、太陽の熱を浴びたら熱さで簡単に解けてしまいそうだとシエラは思った。髪の色は獅子のたてがみの様に艶やかで美しかった。同じ色をした睫毛の下からは澄んだ深い海の色をした瞳が優しくこちらを覗いていた。  すごく綺麗だ──  こどもの頃、曽祖母から聞いた御伽噺(おときばなし)がシエラの脳裏をよぎった。  あれは曽祖父が天に召された時。曽祖父は神様の元に旅立ったんだと聞かされた。肉体(からだ)から離れた魂は空の一番高いところに辿り着くと、生きていた時の痛みや苦しみや何もかもから解放されて、穏やかに暮らしていけるんだと。  神様は太陽のように眩しいお方で、それは生きている間に感じることは出来ても決して目で見ることは出来ないと。  幼い時、想像していた神様の姿にこの男は近いとシエラは思った。そして悟った。 ──自分は失敗したのだと。  死んでいるはずの肉体(からだ)から突然涙が溢れた。  黙って置いて行った家族の顔や、カーラの顔が次々と浮かんでくる。  申し訳ない気持ちでいっぱいだった。自分がカーラの変わりに村を幸せにすると約束したのに。叶わなかった。  必死に走り続けたあの闇夜、少しでも信じた先にある未来。 ──諦めたらあの闇に喰われてしまいそうで怖かった。  だけどもう終わったのだ。  シエラは悔しさの最後にそっと安堵した。自分が戻らなければカーラはもう無茶をすることはないだろう。村の人も竜が守る崖が本当でも嘘でも生きては帰れないことを知り、もう二度と自分のような愚か者も現れないだろう。 「なあお前、泣いているところ申し訳ないが。折れた足はなんともないのか?」  シエラはその言葉で感慨に耽るのを止め、これ以上は無いくらいに絶叫した。 「──泣いたり叫んだり、忙しいヤツだ」  獅子のたてがみを持つ美しい男は大きく笑った。
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