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3 いかないで
「マリ、いま筋を切ってるの。こうやって肉の筋を切っておくと、焼いた時に縮まないんだよ」
幽霊少女のマリはカウンターに手を乗せて、僕がステーキを焼くのを興味深そうに観察している。掃除中は物音を立てて気を引くが、料理には興味があるらしい。
ちなみに、マリというのは僕がつけた。
こっくりさん方式で会話しようとしたが、文字がわからないらしい。
7才くらいに見えるから、小学校にはあがっていたと思うけど……
「ああ、今度ハンバーグ作ろうか。子供はステーキなんか食べないもんね」
笑いかけてもマリはやっぱりきょとんとしていた。
もしかして、日本人の子じゃない?
そんな事を考えてしまうくらい、言葉を理解していない雰囲気がけっこうある。
「マリは、肉と魚どっちが好きだったの? 野菜は食べた?」
完全に傍から見たら僕は現在〝あぶない奴〟。
マリのために子供向けの有料チャンネルをつけっぱなしで出勤したり、休憩中に通販サイトで子供服を物色したり。
様子を尋ねてきた先輩にあるがままを伝えたら『お前バカじゃね?』という返事が来た。もうちょっと言い方があるだろと、正直思った。
「そうだ、マリ。明後日からおじさん出張だから」
マリはいつも通り、きょとんとしている。
「二泊三日。夜が二回ひとりだから、留守番よろしく」
マリはいつも通り、きょとんとしている。
「んー。朝、おじさん玄関から出て行くでしょ? それが、これくらいなのが、これくらいになる」
掌で10センチ幅を作り、それを30センチ幅に広げながら説明してみた。
マリは僕の手をじっと見つめてから、ゆっくりと僕を見あげた。
「待っててね」
こちらからは触れないマリの頭を、丁寧に撫でる。
すると。
「……」
マリの目が大きく見開かれ、細い首にうっすらと紫色の痣が浮かび上がった。
しまった、と思った。
でも子供だからそんなに甚大な被害は出ないだろう。
僕はいつも通りに接するように努め、出張の準備を始めた。出張そのものは明後日からだけど、とりあえず明日どこかで一泊しよう。出張から戻ればマリの昂った気分も鎮まっているはずだ。
マリの眼差しは、寂しそうではあるものの、それだけではない昏い感情が滲んでいる。
でもまあ、マリは素直そうないいこだから。
僕はベッドに入った。
シーツがもこりと膨れ上がり、肌寒い夜の空気が入ってくる。
「よしよし。今日は一緒に寝ような」
大人の気を引くためのポルターガイストが、まさかこんな人懐っこい幽霊だったなんて。微笑ましさと、たったこれだけの事で優良物件に格安で住める優越感に、僕は暗闇でひとり笑い声をあげた。
フィギアの首を落とされたくらいで、先輩も馬鹿だなぁ。
マリの顔が、目の前にあった。
冷たい手が首に回る。
息が止まった。
「……っ」
よっぽど留守番が嫌らしい。
僕を出て行かせまいとして、おどかしているのだ。
「……」
ちょっと苦しい。
でも、まあ、子供のする事だから────……
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