第2話 はぐれ魔女 ~ウラ・ギンガー

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第2話 はぐれ魔女 ~ウラ・ギンガー

 時は少しばかり遡る。  ここはバイエルン公国の首都ミュンヘンの郊外にあるとある民家である。  ここには若い夫婦が住んでおり、生まれたばかりの赤ん坊を真ん中にして川の字でぐっすりと眠っている。  深夜。この家に忍び寄る怪しい人影があった。  姿形からして、魔女のようだ。  赤ん坊の心臓や血は魔女が作る毒薬や呪殺薬の高級な材料となるため、魔女たちにとっては垂涎(すいぜん)の的である。  魔女の目的はどうやら赤ん坊にあるようだった。  そして魔女がまさにその家に侵入しようとしたとき、突然横合いから炎の矢が飛んできて、魔女の喉笛を貫通した。魔女は即死だった。     ◆  ウラ・ギンガーは魔女になって3年になる中堅どころの魔女だ。  彼女の夫は真面目な家具職人であったが、仕事以外に何の取り柄もないつまらない男だった。  3年前。ウラは懐妊した。夫とのつまらない生活に飽き飽きしていたウラは歓喜し、大切に大切に育てた。  にもかかわらず、妊娠6か月を過ぎた頃に流産してしまう。  それに強いショックを受けたウラは意気消沈し、自暴自棄となってしまった。ウラの夫はそんな彼女の心のケアをできるほどのデリカシーを持ち合わせていなかったのだ。  その心の(すき)を突かれ、ある男に誘惑された。  男は紳士的でさかんにウラの傷ついた心を慰めてくれる。  そして2人は結ばれた。ウラは敬虔なカトリック教徒だったのだが、これについては魔が差したとしか言いようがない。  男は人間離れした色事の達人だった。  ウラは次第にその肉欲に溺れていった。  そしてもう元には戻れないだろうと思われた頃、ウラは男から衝撃の事実を告白された。男は悪魔だったのだ。  悪魔はウラに魔女になるように誘ってきた。  男に身も心も支配されつつあるウラには、これに抵抗する気概は残されていなかった。  悪魔は既に12人の魔女を集めていた。  ウラは最後の一人だったのだ。  仲間の魔女たちが見守る目の前で、ウラは悪魔に犯されると、すぐさま魔女の入団儀式が行われた。  悪魔は彼女の肩に噛みつくと吸いだした血をウラに吐きかけた。  ウラは片手を額に、片手を(かかと)につけて誓いの言葉を述べる。 「私は(なんじ)に私の両手の間にある一切のものを与える」  こうしてウラは魔女となり、悪魔に一生仕えることを誓い、十字架を踏みにじり、カトリック教会を否認し、契約の印として自分の髪、爪、血などを悪魔にささげた。  ウラは悪魔の下で魔術を学び、毒薬、飛行薬、使い魔を与えられた。  ウラが与えられた使い魔は(からす)だった。ウラは使い魔にクレリーと名付けた。  ウラの魔女としての才能は抜群で、あっという間に魔法や毒薬の使い方をマスターした。  中でも呪いをかける技術は、一番の新参者にもかかわらず、ピカ一となった。  そんな彼女には赤ん坊を流産したトラウマがあった。  彼女はどうしても赤ん坊を見ると憎めない。  一方で赤ん坊は毒薬や呪殺薬の高級な材料となる。  ウラは煮え湯を飲まされる思いで他の魔女が赤ん坊をさらってくることを手伝っていた。  しかし、その不満はウラの心に確実に蓄積されていった。  そして魔女になって3年の月日が流れたある日。  ついにウラの心は耐えきれなくなった。  同僚の魔女が家に侵入しようとしたとき、発作的に横合いからファイアーアローを放ってしまったのだ。  死亡した魔女とペアを組んでいたウラは、仲間たちから真っ先に疑われた。  死因は明らかに魔法である。となると現場に居合わせたウラが一番怪しい。  それに対してウラはまともな言い訳ができない。  リーダーの悪魔は決断した。 「裏切者には死を!」  その言葉を合図に、一斉に仲間たちが襲いかかる。  ウラは、仲間たちより一瞬早くレインオブ・ファイアーアローを無詠唱で放って牽制(けんせい)すると、その(すき)(ほうき)に乗って飛び立った。  それを仲間たちはしつこく追いかけてきた。  だが実力は伯仲しており、その差はほとんど縮まりも伸びもしない。  これは体力勝負の長期戦かと思われたおき、ウラは積乱雲に突入した。激しく大粒の雨が叩き付ける悪天の中を必死に飛び続ける。  そのとき奇跡が起こった。  積乱雲で発生したダウンバーストという局地的な激しい下降気流が追いかける魔女たちを襲ったのである。  ダウンバーストの激しい気流に巻き込まれ、追いかけていた魔女たちは次々に下方にあおられて、姿が見えなくなった。  これを好機と、ウラは全速力で逃げ続け、ついに魔女たちから逃げ切った。     ◆  とりあえず逃げおおせたとはいうものの、ウラは仲間の魔女たちから命を狙われる裏切り者のはぐれ魔女となってしまった。  仕方なくウラは仲間の魔女たちから逃れるために放浪の旅を始めた。  しかし、悪魔との契約の印がある限り、ウラの居場所は契約をした悪魔にはバレてしまう。  自然と特定の町に長期に滞在することはかなわない放浪の旅となった。  旅をするには路銀が必要である。  そのために、ウラは占い師の仕事を始めた。  占いは魔女でなくとも技術があればできる仕事だ。  実際に、大きな町などにはインチキ臭いものから本格的なものまで、様々な占い師がしのぎを削っていた。  中には大都市での競争に負けて、地方都市を巡業する者もいたので、怪しまれずに放浪の旅をするにはうってつけの仕事だった。  ある町で開業していると、顔を腫らし、悲愴な顔をした母親と子供の親子がやってきた。子供の方も怪我をしているようである。  親子からの相談は深刻だった。  彼女の夫が酒乱となり、母子に暴力を振るい、それは日増しにエスカレートしているという。  どうしたら明るい未来の展望が開けるか占って欲しいということだった。  が、占いの結果は口にするのも(はばか)られる内容だった。  ウラは思い切って聞いてみた。 「もし私があなたの夫を呪い殺せるとしたらどうしますか?」  母親は驚きの表情でウラを見つめ、確認した。 「そんなことが本当にできるんですか?」 「ええ。できます」  母親は長考の末に言った。 「では、お願いいたします。でも、料金が…これしかもちあわせがなくて…」  母親が示したのは銀貨が数枚だった。  仮にも人を一人殺すのだ、金貨は最低欲しいところだが…  ウラは、これも人助けだと思って依頼を受けることにした。 「ところで殺し方はどうしますか?すぐに殺すか、じわじわと苦しめながら殺すかなど、いろいろありますが…」 「苦しめるのは本意ではないので、とにかく早い方法でお願いします」 「わかりました」  依頼のあった母親の夫はその晩から苦しみはじめ、3日後に血を吐いて絶命した。  人々の口に(ふた)はできないもので、そんなことが何回か続くと、貧乏人のために悪人を呪殺してくれる占い師がいるという(うわさ)が庶民の間に広がっていった。  ただ、その占い師は神出鬼没で、いつどこに現れるかは予測できないという。     ◆  神聖帝国に地球から異世界転生してきた天才チートな男がいた。  彼の名はフリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセン。  彼は、その前世からしてケンブリッジ大学博士課程主席卒業の天才量子力学者で他の学問にも精通しており、かつ、無差別級格闘技をも得意とするチートな男だった。  転生後も持ち前のチート能力を生かし、剣術などの武術、超能力や魔法を極めると、人外を含む娘たちとハーレム冒険パーティを作り、はては軍人となり破竹の昇進を遂げ、現在は神聖帝国のロートリンゲン大公の地位にあった。     ◆  バイエルン公国から(とつ)いできた側室のカーリンがフリードリヒに言った。 「実はこういう奇妙な(うわさ)がバイエルン公国で流れていますのよ」  と言うと貧乏人のために悪人を呪殺する占い師のことを語った。  カーリンもこういう珍妙な話をフリードリヒは大好物だということを心得てきたようだ。 「ほう。その占い師はおそらく魔女だな。しかし、魔女が悪人を呪殺するとは妙だな…」  フリードリヒは不思議に思ったが、タンバヤ商会情報部を動かすほどの話ではないと思い、心の片隅にとどめ置くことにした。     ◆  ウラの命を狙う魔女たちは、以後、全員で襲ってくることはなく、1人又は2人と小出しで襲ってきた。  魔法で襲ってくることもあり、また呪殺を仕掛けてくることもあった。  だが、呪殺はウラの得意とするところである。自らにかけられた呪いを術者にはね返すと、呪いは倍返しとなって術者を襲い、術者は悶絶して死亡した。  一人、また一人とウラの命を狙う魔女たちの人数は減っていった。その度にウラは魔女としての腕を上げていった。  それでも(あきら)めずに追手はかかった。  そのうちバイエルン公国内では逃げ切れず、フランケン公国へ、そしてついにはロートリンゲン公国へとウラは足を伸ばした。     ◆  フリードリヒ親衛隊の魔女イゾベル・ゴーティは、仲の良い仲間数人とともにナンツィヒの夜の町に繰り出していた。  彼女たちはなんだかんだ言って高給取りなのだが、この晩は庶民向けの店が立ち並ぶ街区もいいだろうということになった。  イゾベルたちが店を物色していると、占い師が露店を開いているのが目に入った。  イゾベルはすぐに気づいた。  ──んっ? あいつ魔女だな…  しかし、魔女が副業で占い師をやることなど珍しいことではない。そのまま立ち去ろうとしていたところ、会話の断片が耳に入ってきた。 「…を呪殺して欲しいのですが」  それを聞くと、占い師は依頼者を連れて近くの林の暗がりに入って行った。そこで密談するつもりなのだろう。  いきなりの物騒な話に仰天したイゾベルは、気配を消しながらこっそり後を付けると、会話を盗み聞きした。  どうやら浮気のはてに駆け落ちした旦那を妻が呪殺して欲しいという依頼のようだ。  カトリック教徒の場合、離婚が認められていないため、再婚というのは、原則として配偶者と死別した場合に限られる。  へたに駆け落ちなどされてしまうと、残された方は再婚もできず、生殺し状態になってしまう。  そういう意味では、当人にとって深刻な問題ではあるのだが…  ──だからといって呪殺というのは短慮に過ぎないか…?  イゾベルは思わず止めに入った。 「話は聞かせてもらった。事情はわかるが、いきなり呪殺というのは短慮に過ぎるのではないか? まずはお(かみ)に相談してみるべきだろう」  だが依頼者は堂々と反論した。 「それが頼りないから最後の手段でお願いしているんです」 「お(かみ)には相談済みということか?」 「もちろんそうです」  それは反論が難しいな… 「しかし、相手がどこにいるかわからないでは、呪殺の成功が確認できない。あなたは結局再婚できないぞ」 「それはどうでも良いのです。私は私を裏切ったあの人が許せないのです」  信じ切っていた相手に裏切られると、こういう過激な反応になるということか…それも無理はないが… 「わかった。今日のところは引き下がろう。  だが、占い師のあんたは何か事情がありそうだな。私はさる偉い方に仕えている身でね。何か力になれるかもしれない。明日、出直すから事情を話してみる気はないか?」 「わかった。考えておこう」  様子からして、相手はイゾベルが魔女であることを察したうえで答えているようだった。     ◆  翌日。  イゾベルは早速昨日の占い師のところを訪ねた。 「やあ。ちゃんと待っていてくれたんだね。覚悟は決まったようだな。あたしはイゾベル。あんたの名前は?」 「ウラだ」 「そこであんたの事情というものを話してみてくれないか?」  ウラは素直に自分の置かれている状況を話した。  おそらくイゾベルの方がずっと格上の魔女だということを察したうえでのことだろう。 「なるほど。悪魔がらみか…とするとあたしには荷が重いな…」 「やはり無理ですか…?」 「誰が無理だと言った。あたしの仕えている人ならこんな話は朝飯前だ。付いて来い」 「ああ。わかった」  イゾベルはウラを自らが契約している女悪魔アスタロトのところに連れて行った。  そこで事情を話す。 「なるほど。事情はわかった。本来ならイゾベルのときのように私が上書きできれば簡単なのだが、あいにく定員がいっぱいでね。  ここは大公閣下にお願いしてみるしかないだろう」 「結局は、そこですか…」 「別にいやがることはないだろう」 「あんまり借りは作りたくないんすよ」 「ここはウラのためにも一肌脱ぐところだろう」 「はい…わかりました」     ◆  イゾベルとウラは、フリードリヒのところに行って事情を話した。 「バイエルン公国で(うわさ)になっていた占い師とは君か?」 「おそらくそうだと思います」 「不思議に思っていたが、君も悪に染まり切れなかった魔女ということか…」 「私も…とは?」 「いや。こっちの話だ。そうするとイゾベルのときのように、女悪魔がいいかな…とすると…」  フリードリヒが念じると召喚陣が浮かび上がり、金糸で縫取られた黒ベルベットと白レースの衣装を(まと)い、公爵夫人の宝冠を腰周りに結んで、赤い髪をなびかせた美女が大駱駝(おおらくだ)に乗って現れた。グレモリーである。  グレモリーはソロモン72柱のうち序列56の公爵で、地獄の26軍団を従えるという女悪魔である。 「グレモリー。御身(おんみ)の前に。王よ」 「ご苦労。だが、私は転生して名がロートリンゲン公フリードリヒと変わったのだ。以後は閣下と呼ぶがよい」 「御意(ぎょい)」 「そこで早速だが、そこにいるウラと魔女契約をして欲しい」 「既に契約済みのようですが…」 「その低級悪魔との契約を上書きしてやって欲しいのだ」 「なるほど。了解いたしました」 「おい。ウラとやら。こちらへ来い」  ウラは高位の悪魔のあまりのおぞましさに恐怖を覚えながらも、グレモリーのもとへと行く。  グレモリーは契約の印を付けると言った。 「さあ。宣誓の言葉を言え!」  ウラは片手を額に、片手を(かかと)につけて誓いの言葉を述べる。 「私は(なんじ)に私の両手の間にある一切のものを与える」  こうして、ウラはグレモリーの魔女となった。     ◆  一方、ウラと契約していた悪魔は自分の契約が途切れたことをすぐに悟った。 「おのれ!小癪(こしゃく)なまねを!」  悪魔は激怒し、残った魔女たちに、最も強力な呪いである魔女のサバトの呪いをウラにかけるように命じた。  魔女のサバトの呪いは悪魔ルシファーに捧げる呪いだ。  本来は13人の魔女たちで行う者だが、人数が欠けているのにも気づかないほど悪魔は激怒していた。  魔女たちは、生贄(いけにえ)のヒキガエルの胸を切り裂いて心臓を取り出し、血を青銅の容器に注いだ。  そして、手をつないで“悪魔のダンス”を踊り、生贄(いけにえ)の心臓と血を捧げて悪魔ルシファーへの呪文を唱えた。 「ルシファーよ来たれ。オウヤル、シャメロロン、アリセリオン、マルドルシン、プレミー、オリエルット、ナイドルス、エルモニル、エバリネソルト、ペアリタム、ルシファーよ来たれ!アーメン。  呪いの秘薬を与える代わりに、ウラ・ギンガーを呪い殺してください!」  その瞬間、ルシファーは気づいた。  ──これはナンツィヒの城に俺の呪いを向けたバカ者がいるな…なんと考えなしな低級め!  同時にウラも自分に呪いが向けられたことを察した。  グレモリーと契約してパワーアップしていたウラは呪いをはね返す。  この際にフリードリヒの部下となっていた悪魔ルシファーが手助けしたことをウラは知らない。  強力だったはずの呪いは、倍返しとなって魔女たちのもとへと戻ってきた。  その強力な呪いに悶絶(もんぜつ)しながら苦しむ魔女たち。  彼女らの体はどんどん()れ上がり、もはや人間の形も判別できないほどになって絶命した。  この状況を唖然として見ていた悪魔は、己の浅はかさを悟ると、地獄に逃げ帰った。  しかし、地獄の(あるじ)ルシファーがいるナンツィヒの城に呪いを向けた罪は万死に値する。  悪魔はたちまち地獄の獄卒たちにつかまり、地獄の責め苦を永遠に受け続けることとなった。     ◆  フリードリヒはウラの処遇について考えていた。  この時代、まだ法治機構は未熟だし、警察・検察・裁判機構もしかりだ。  近代的な法治国家であれば、犯罪を私刑で裁くことなど言語道断なのだが、この時代ならば、未熟な法治機構で手の届かない部分を補完する手段として、闇で認めてもいいのではないかと思った。  簡単に言えば、13世紀版、必殺〇〇人といったところか…  グレモリーには、あと12人の魔女を集めてもらって、そういう仕事をしてもらおうかな…  いかにも悪魔っぽい仕事で、良いではないかと思うフリードリヒだった。
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