ポンペイレッド、安らかに

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十月初旬。祖母が亡くなった。 交通事故で、即死だったらしい。 そういった報せを受けたのは、両親が葬儀を全て済ませた後だった。私と祖母は互いに顔も見たくないほど不仲だったので、気を利かせたらしい。不仲の原因は心当たりが多くてわからない。元々折り合いが悪かったのだろう。 それでも私は報せを受けた数日後、有給をとって地元に帰った。遺品整理を手伝う為である。金目のものがあれば遠慮なく換金してくれていい、と母から言われたので、それならばと引き受けたのだ。母も母で祖母から酷い目に遭っていたので、当然の判断だと思った。祖母の実子である父の許可はどうなっているのか気になったが、関係にヒビが入るのも厭わないほど強気に出た母の態度で何となく察してしまったので、あえて聞いていない。 祖母の家は地元でも山奥に位置する。カーナビに住所を入れ、ろくに整備もされていない山道を車で1時間弱走ってようやく着いた。最後に来たのはいつだったかも思い出せない。浸るべき感情もないのでさっさと中に入ると、年寄りの家独特のカビ臭さが鼻をついた。清掃がマメに行われていたような形跡に反し拭えない清潔感のなさは、恐らくこの古家のせいだろう。 「​──あら、あんた遅かったわね」 玄関の音を聞き付けた母が奥から現れた。後ろから見知らぬおばさんが二人、ついてくる。 「ナビに振り回された。後ろの方は?」 「あの人が生前個人で雇ってたお手伝いさん。お世話になったから、分け前でもあげようと思って」 お手伝いさん達がバラバラのタイミングで会釈したので、私も会釈を返した。 さあ行きましょ、という母に促され、玄関を上がって広間へ向かう。 「さすがにお手伝いさんに無断であげるのはヤバいんじゃない」 スタスタと歩く母の横でこっそり尋ねる。母は、いいのよ、と屈託なく笑った。 「売るかあげるかの違いよ。大して変わんないわ。まあ、誰かに売るより知ってる人にあげるほうがあのババアも喜ぶんじゃない。金持ちの遺産の正しい使い方ってやつで」 「ランドセルのタイガーマスクじゃあるまいし」 「あれよりケチだから比べるのは失礼だわ。​──で、これがあんたに整理してもらう分」 広間に着いて早々、ほぼ茶色の小汚い山が私を出迎えた。 大体は箱である。掛け軸、壺、刀のようなものなど、割と多い。年寄りはみんなこういうものに価値を見出して取っておくとは聞いていたが、これは大概だ。 「高そうなものは親戚連中がさっさと持ってっちゃって、かき集めたらこれだけしか無かったわ。ムカつくわー」 「そう? 結構あるほうじゃん」 「問題はこの中で金になるものがどれくらいあるかってことよ。胡散臭そうなものしか残ってないでしょ。それが不安なのよね」 「わざわざ呼び出しといてそういうこと言わないでよ。もうこれをアテにする前提で買うもの決めてんだから」 「へー。何?」 「ミニクーパーのめっちゃいいやつ」 「あははっ、よっぽどじゃん」 「だってそのくらいしないとやってらんないし。……」 話しながら箱を分解したり中身を改めたりして仕分けをしていく。なるほど、大体がゴミだ。葉書や何かの記念らしい紙切れ、写真もある。白黒の祖母は美女だった。ごっそりまとめてゴミ袋に入れる。 あれもだめ、これもだめ、とぶつぶつ言う母に構わず作業を続けていくと、ある箱に初めての手応えがあった。開けてみると、手紙の中に何か埋もれている。手紙を捨てつつ掻き分けてみると、入っていたのは一本の口紅だった。いわゆるデパコスの類なのか、黒地に金の装飾が高級感を出している。生前、狂ったように女っ気、もとい化粧を否定していた人にしては不相応なものだ。 ​──腐っても女ってやつ? そんな呆れにも似た興味で中身を見ると、深みのある赤色をした口紅が僅かな使用感を残して収まっていた。劣化はしているものの保存状態はよく、鮮烈ながらも気品をたたえた赤を想起させる。祖母に対してこんなことを思うのは癪だが、いい品だ。 ​──何で後生大事に持ってたんだか。 ふと、ゴミ袋の中にぶちまけた手紙に目をやる。深く詮索しようという気はないが、理由があればそれなりに知りたい。 拾った手紙を見ていく。達筆で読みにくい。何とか判別できる部分を繋げて読むが、内容は殆ど惚気けたメールみたいな感じでつまらない。ただ、何枚かには祖父とは違う男の名前が記され、貰うだとか嬉しいという言葉も見受けられる。 「あ、なにそれ。あの人そんなもん持ってたの? 人には化粧するなって言ってたくせに」 横から母が言った。怒りと呆れが滲んでいる。 「元彼っぽい人からもらったみたいだよ。ほら手紙」 「へー。ホントだ。​──それ入ってた箱、金庫の中から見つかったんだよね。よっぽど元彼好きだったのかもね、どうでもいいけど」 「ふーん。……」 さっさと自分の仕分けに戻る母から、手元の手紙と口紅に視線を戻す。 手紙の中にいた祖母は私達が知る祖母とはかけ離れた、生き生きとして、明るく無邪気な人だった。きっとこの中の祖母が、本当の祖母だったに違いない。それが何故偏屈で狂人めいた性格になってしまったのか。おそらくその答えもこの口紅にあるのだろう。 尤も、それ以上の事を知ろうという気は微塵もないし、憐憫すら感じない。冷たいかもしれないが、それ以上のことを祖母からされている側としては、まさしく、どうでもいい事情なのである。口紅一本で関係が変わるなんて、フィクションでしかない。戒めにはなるが。 ​──モノには申し訳ないけど。 胸裡、口紅に謝罪しつつ、手紙ごとゴミ袋に入れる。ぼすっと鈍い音がした。一緒に焼くか別々に焼くかの違いなのだ、文句はないだろう。あの世でまた手に取ってもらうことを祈るくらいはしてやってもいい。 「くっだらない」 作業音に紛れるほど小さな呟き。 誰かに聞かれるまでもなく、時間に溶けていった。 なお、二日にわたる遺品整理の末に換金し手に入れた金は二十八万二千六円だった。ミニクーパーはほど遠い。 渋い気持ちで、私は地元を後にした。
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