71人が本棚に入れています
本棚に追加
1
バタンと、
車のドアが閉まる、重い音がした。
窓の向こうに自分を見送る恋人たちが並んでいる。奏斗は助手席から二人に手を振った。
幸せそうだな。
日差しの中に立つ二人、佐良と碧をまぶしく見た。
ふたりか、とつぶやく。
このあと彼らはあの高台にある家に帰るのだろう。佐良の隣に、やはり奏斗の居場所はなかった。
エンジンがかかり、クーラーが吹き出す。
タイヤが砂利を踏む音がして、風景が回転し移り変わる。
車は坂道を登っていく。遠く夏の海が眼下に広がった。後部座席へ身を乗り出すと、さっきまでいた場所で、こちらを見る二人の姿が小さく見えた。
その光景は前触れなく、雑木林の影にさえぎられた。
奏斗はゆっくりと身体を前に向け座り直し、頭の後ろで指を組んだ。
「あーあ。終わっちゃった」
奏斗は軽い調子で言う。航はその声を聞き、一瞬奏斗を見て、また前方に視線を戻した。
「でも面白かったな。ちょっとした旅行だったよ。知らない町に一泊もできたしね。ひなびた感じがいいところだったよ。航もせっかく来たんだからちょっと歩いてみればよかったのに」
「見るところなんてないだろ」
「何もないところにいるのもたまにはいいよ。波の音が聞こえてさ。あっ、商店街にいい感じの和菓子屋があってね。そこでかき氷食べたんだ。それなりによかったよ」
ふいに目の前に航の手のひらが現れ、キャップのつばで前の景色が隠された。
「泣けよ」
運転していた航が低い声で言った。
「泣いてないんだろ」
「……ほっといてよ」
「いいから黙って泣け」
その言葉を呼び水に、キャップの中で、ふ、と声が漏れる。緊張させ、凍りつかせておいた気持ちが解けた。
航には気づかれている。だてに十年も親友をやっているわけではない。
実際、昨夜泣かなかった。彼らに顔を合わせるときに、腫れた目をしていたくなかった。本当は立ち直れないくらいへこたれていると、知られなくなかった。
最初のコメントを投稿しよう!