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「あとは寝ろ。起きる頃には向こうに着いてるから」
淡々とした口調で航は言った。
向こうに着く、という言葉で自分の部屋を思い浮かべる。あと数時間で前と同じ現実に戻れる自信はなかった。
「帰りたくない」
「は?」
「だから。帰りたくない」
奏斗はキャップで顔を隠したままで言った。
わがままだとはわかっている。航にしか言えないことだった。
車が停車し、ウィンカーの音が鳴るのを聞いていた。やがて航がふうっと息をつく。
「……わかったよ。どこ行く」
「どっか」
「はいはい」
航が腕を延ばしてナビを操作する音が何度かした。音声が何か言っている。
しばらくして車は動き出した。
角を曲がる遠心力に身体が揺さぶられ、戻る。
奏斗は肩を震わせた。
佐良が本当に好きだった。三年の間、ずっと。
ずっと動けず、押しとどめていたものを動かしてみたけれど、うまくは行かなかった。
もう、随分前から無理だとわかっていた。
航が身体を動かす気配がした。頭の上にポンとタオルが置かれる。奏斗はそれを受け取り、顔を覆った。また涙がにじむ。
タオルは、航の匂いがする。
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