第1章

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第1章

 ここは田舎の村だ。本当に田舎過ぎて、少し離れた所にある街に出かけて行ったというだけで、尊敬の目で見られるほどだ。  代わり映えのしない毎日。田畑の野良仕事をして、養蜂を手伝い、家事をして。  毎日、同じ事の繰り返しで、本当はそれに飽きているのに、この村から出て行く選択肢はない。出て行けると言われても、出て行く勇気は出ないと思う。だって、出て行ってどうやって生きていったらいいのだろう。野良仕事くらいしかできない小娘が、一体、街になど出て行ってどうすればいいというのだ。  それなのに、時々、村を無性に出たくなった。  村中の人がみんな知り合いのような、こんな村が。田舎が嫌だった。 「ねえ、知ってる?今度、ご領主様の別荘に、気が狂っちゃったっていう王子様が来て、住まわれるらしいわよ。」 「…何それ。本当なの?」  リカンナに言われて、気のない返事をセリナは返した。 「王子様ってどんな人なのか、気にならないの、あんたは?」  思わずセリナは鼻で笑ってしまった。 「何よぉ、その馬鹿にした笑いはー。」 「ごめん。でも、その王子様って気が狂ってるんでしょ。美少年だって(うわさ)だけど、気が狂ってるんじゃ、どうにもならないじゃない。」  すると、今度はリカンナが鼻で笑った。 「あんたこそ、分かってないわねえ。気が狂っちゃってるんだから、お人形さんみたいにいるだけでいいのよ。あんなこととか、ある意味、やりたい放題かもしれないわよ?」  リカンナのにやにやした笑いに、セリナは首を(かし)げた。 「あんた、何を言ってるの?言ってる意味が分かんないわ。それより、これをさっさとやっちゃおうよ。」  今は冬の間、牛などの家畜に与える干し草をまとめている所だった。 「ほんと、あんたって、村でっていうか、この近隣一帯で一番の美人さんなくせに、なーんにも分かってないのね。おくてなんだから。」 「…分かってるわよ。でも、わたしには関係ないから。どうせ、わたしなんて父さんの気まぐれで捨て猫がかわいそう、なくらいの感じで拾われてきただけなんだから。家での立場も低いし、結婚させて(もら)えるだけ、ありがたいって所ね。母さんも結納金がもったいないって言ってるし。」  セリナの言葉にリカンナがため息をついた。 「だから、言ってんの。あんたなら、ここから出て行ける。その容姿を最大限に生かす機会じゃないの。その容姿を使って、王子様をたぶらかしちゃえ。」  二人はせっせと干し草をまとめる手だけは動かしながら、おしゃべりを続けた。 「あんた、たぶらかすってねえ。人聞きの悪いこと、言わないでよ。」 「とにかく、あんたはここにいたら、だめ。あんたはきっと、本当はいいとこのお嬢さんなのよ。ここらの先祖代々ここに住んでます、っていうあたし達と全く違う顔つきだもん。あたし達はみんなどこか顔つきが似てるよ。ずっと同じとこに住んでんだから。  でも、あんたはだめよ。出て行かなきゃ。ここにいたら、あんたがだめになっちゃう。そんな気がするよ。」 「……。心配してくれるのは嬉しいよ、リカンナ。でも、それが現実的だって思う?だって、父さんと母さんが育ててくれた恩はあるんだし。」 「もう、十分だよ、恩は返したさ。人一倍、あんたは働いてる。今だってこうして働かされてるじゃないか。」 「ごめん、付き合わせちゃって。」 「あたしが好きでやってんの。とにかく、別荘で人を(やと)うって話だから、逃しちゃだめよ。もし、行かせないって言うんなら、あたしがおばさんに言って、一緒に行くから。あんたの容姿は使うに超したことはないんだからね。」  リカンナは一方的に話を打ち切ると、仕事を切り上げにかかる。セリナも一緒に最後の干し草を束にしてまとめた。  リカンナの気持ちはありがたいが、セリナはそんな気分になれなかった。子供が捨てられて、拾われるのはざらにある話だ。セリナもざらにある内の一人だった。それでも、拾われ子だから家での立場は弱いし、傷つかないわけではない。  農家で子供を拾うのは、ただ同然で働かせる労働力が欲しいからだ。男の子の場合は得にそうで、女の子の場合は将来的に、自分の家の子供と結婚させて子供を産ませるとか、結婚させないで子供を産ませるためだけ、という場合もある。  セリナもすでに処女ではなかった。だが、母の監視が厳しいので、血の繋がらない一番上の兄にやられた数回だけですんでいる。しかも、村中にセリナの母親が厳しいと知れ渡っているので、セリナに手を出そうとする無謀な若者も年寄りもいなかった。  育ての母はセリナにもすごく厳しいが、その点に関してはありがたかった。そういうこともあるので、余計にリカンナはセリナに家を出ろとうるさく言うのだ。 (わたしなんかが、家を出られるわけがないじゃないの。)  そんなことを思って家に戻ると、すぐに洗濯なんかが待っている。次々に家事に追われる。  こうやって、一日が過ぎ去っていくのだ。  その二日後、セリナの家でも食事時に、別荘で働く人を雇うため、村人を集めて面接を行うという話が持ち上がった。発言権がないセリナは黙ってもくもくと食事を口に運ぶ。  姉達や妹がわたし達が行くと言い張り、誰が行くかでもめ始めた。 「お黙り!」  母ジリナの一喝で、全員が押し黙る。父のオルは上座に座っているが、空気のように存在感が薄い。 「この家で誰が行くのか決まってんだよ。セリナ、お前が行くんだ。分かったね。」  いきなり、名指しされてセリナは慌てた。姉達の嫌がらせがひどくなる。 「で、でも、母さん、わたしは…。」 「お黙り!口答えする気かい?こういう時のために、お前に男どもが手出しできないようにしてきたんだよ。いいかい、お前が行ったら必ず雇われる。そうなれば、必ず高いお給金をはずんで貰えるからね。ましてや、おかしくなっちまった王子様のお世話さ。こういう曰く付きの方々の場合は特にね。」  ジリナは本当に有言実行する人である。一度、姉のポミラを、村で素行の悪いことで有名な若者が、手込めにしたことがあった。手込めと言っても姉のポミラも結構、乗り気だったと思うのだが、とにかく、そういうことがあった。  すると、日頃から家の娘に手を出したら、お前らの一物を切り取り、料理して犬に食わせると公言していたが、実際にその若者が泥酔している間に実行してしまった。犬に食わせるところまでだ。村中で大騒動になったが、結局、手を出した方が悪いし、そのままうやむやになってしまった。  だが、確実にセリナも含めて、村の男達に狙われることはなくなった。  ジリナは村でも恐ろしい女で通っているのだ。そのジリナの決定である。(くつがえ)せるわけがなかった。  案の定、食事が終わって食器の片付けをしていると、妹のロナが嫌みを言ってきた。 「セリナ姉さんはいいわねえ、美人で。美人だからお屋敷に行けるのよ。」 「…仕方ないじゃない。誰でもない、母さんの決定なのよ。行きたくないわ。」 「そーんなこと言っちゃって。本当は喜んでるんでしょー。」 「…そんなことないわよ。」  言いながら、実際には妹の言うとおり、まんざらでもなかった。リカンナの言うようにたぶらかすつもりはないが、この家から離れて仕事ができるのは嬉しかった。たとえ、それが洗濯であってもだ。  ジリナの決定は絶対的である。誰も変えられない。  だから、次の日から次姉のダナと三姉のメーラの嫌がらせが始まった。ロナもさりげなく加わる。  この日は粉ひきの当番を無理矢理、代わらされた。本当ならダナとメーラが粉ひき小屋まで行く日だ。少しの粉なら家にある石臼でひけるが、大家族分のパンを焼くための粉となると、とても足りない。そのため、村に何カ所かある粉ひきの水車小屋まで挽きに行く。  順番に粉をひける日が回ってくるので、セリナの家ではダナとメーラ、セリナとロナが組になり、交互に粉ひきに行くことになっていた。ダナとメーラは自分達の仕事をセリナに押しつけ、ロナも姿をくらました。誰かがやらなければ、ジリナの雷が怒濤(どとう)のごとく降り注ぐ。  仕方なく、セリナは粉ひきに向かった。ロバに小麦と大麦、ライ麦、蕎麦がそれぞれ入った麻袋を乗せ、小道を進んだ。ジリナは粉をひく順番にもうるさい。どうせ、厳密にしたって、少しは必ず混じってしまう。それでも、母の言うとおり、白さが大事な小麦から順番に挽くことにしていた。蕎麦は黒いので一番最後だし、挽いた後は粉用のちりとりとほうきで、粉ひき小屋の石臼をきれいに掃除することにも従っていた。  ロバを引いて歩いていると、「セリナ…!」と大声で呼ばれて振り返った。 リカンナが必死で走ってくる。 「あんた、何をやってるのよ。今日、これから別荘のお屋敷で、使用人の面接をするのよ!ロナに伝言を頼んだのに!」  セリナは青ざめた。 「聞いてない?」  リカンナも感づいて聞き返す。セリナが(うなず)くと、リカンナは(ひたい)に手を当てて、ため息をついた。 「ごめん。あたしがあんたに直接言わなかったから。これは、嫌がらせね。」  姉達も妹もセリナが面接に行けないようにするために、わざと粉ひきをさせるのだ。悔しかった。でも、これが現実だ。少し甘い夢をみたから。分不相応なものを求めようとしたからだ。 「仕方ないわ。行きなさいよ、リカンナ。わたしはしょうがない。あんたは行って。」 「でも…。」 「母さんにはありのままを言うわ。」 「でも!」 「いいから。あんたにはわたしの分まで、幸運をつかんで欲しいの。」  こんなことはめったにないことなのだ。働けばお給金を貰えるのだから。 「セリナ…。」 「ね、ほら、早く。時間に遅れちゃうわよ。」  セリナは笑顔でリカンナを送り出した。リカンナもしょうがないので、道を戻っていった。リカンナがいなくなってから、セリナはため息をつく。もう、涙さえ出て来ない。一度、なんの変哲も無い雲の浮かぶ空を眺めてから、気を取り直してロバを引いて歩き出した。
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