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第2章
「え、なんで?なんで、あんたがお屋敷に行けるのよ…!?」
ダナが声を裏返しながら大声を出した。ちゃんと粉をひいてきたのにも関わらず、別荘から人が来て、セリナに細かい説明の日時を伝えに来たからだ。ちなみに母のジリナも行くことになっている。昔、ご領主様のお屋敷で働いていたことがあるからだ。
使者が帰ってから、ダナもメーラも詰め寄ってきた。
「なんで、どうしてよ。あんた粉ひきをしに行ったはずじゃないのよ…!あんたが手間取って、確実に間に合わないようにしたはずなのに!」
「なるほど、そういうことかい。」
ジリナは最初から決まっているので、面接はなかった。それでも、手伝いに別荘に行っており、家にはいなかった。
ジリナの声にダナとメーラは唇をかみしめた。
「それで、セリナ。わたしも聞きたいね。お前は面接に間に来れなかったのに、どうして行くことになったんだい?」
腕を組んで返事を待つジリナに嘘をつくなどできない。セリナは素直に昨日の件を白状した。すると、ジリナが笑い出した。
「お前達、馬鹿だねえ。もしかしたら、普通の面接ではセリナは落とされたかもしれないんだよ。あの護衛がただ者ではないからね。容姿端麗なセリナは落とされだだろうさ。それが、若様じきじきのご指名を受けるとは。」
ジリナは青ざめるダナとメーラを横目に大笑いしてから、セリナにきつく言い渡した。
「いいかい、あの護衛の前で、決して若様に色目を使うんじゃないよ。一度でも使おうものなら、すぐに追い出されるだろうよ。しばらくは大人しくしてるんだね。信頼を得るまではね。」
「…母さん、何を言ってるのよ。わたし、色目を使うつもりなんて、ないけど。大体、あの若様の様子からしても、単純に村はどんな所なのかとか、そんな話を聞きたいだけだと思う。」
セリナの言葉にジリナはふん、と鼻先で笑った。
「まあ、いいさね。いつまでそんなことを、うそぶいていられるかね。あんな容姿端麗な子が本当にいるとは。まあ、護衛も苦労が絶えないだろうよ。」
ジリナはダナとメーラに罰として、半年間の粉ひき係に任命し、農作業をするように外へ追い出した。
「それからね、セリナ。あんた、昨日は命拾いをしたんだよ。その若様が止めてなきゃ、馬鹿者どもと一緒に殺されてたかもしれないよ。」
「え、どいういこと?」
「いいかい、覚えておおき。王族の護衛っていえば、ニピ族に決まってんだ。話くらいは聞いたことがあるだろう。このルムガ大陸一だという武術を持ってる一族だ。自分で仕える主を決め、決めたら一生、変えないそうだよ。ニピ族を怒らせることは決してだめだ。怒らせることはただ一つ。主に手を出すことだよ。どんな形であれね。」
セリナは唾を飲み込んだ。昨日の怖い空気を思い出した。恐怖で息さえできなかった。
「怒らせたら、どうなるの?」
「分かってるだろう。殺されるのさ。お前、その護衛が扇子を持ってたって言っただろ。ただの扇子じゃない。鉄でできた特別製でね。彼らの武器さ。それで、叩かれたら一発であの世行きだよ。一瞬だ。」
だから、その護衛を決して怒らせるんじゃないよ、とジリナは釘を刺して出て行った。本当に殺される所だったんだとセリナは改めて思い、ふうっと息を吐いた。準備をしながら、リカンナにも言っておこうとセリナは思ったのだった。
働き始めて二ヶ月も経った頃、最初に四十人いた人員は半分に減らされていた。働きを見てきちんと動ける者、また、多少、仕事に難があっても忠実に言うことを聞く者が選ばれたようだった。
セリナもリカンナも残った二十人に入った。雇われた者は女達で、男手が必要な仕事は、周りにいる兵士が行うので必要はないらしい。女性達に回ってくる仕事は洗濯や掃除が主な仕事だ。料理の仕事はその兵士達の食事を作るこで、なぜか若様の食事を作る仕事は回ってこなかった。一人の中年の女性が、都からずっとついてきているらしく、その人が担当している様子だった。
「ねえ、なんで、若様の食事はあたし達に作るように言われないのかしら。」
洗濯をしながら、リカンナが小声で聞いてきた。ジリナが何か知っているだろうと思い、セリナに聞いてきたのだ。
「わかんない。母さんはたぶん、理由を知っていると思うんだけど、教えてくれないもの。」
セリナも疑問に思って、一度、ジリナに尋ねてみたが、言葉を濁して教えてくれなかった。せっせと洗濯をして、干していく。若様やフォーリの分はなぜか入っていないようだったが、兵士達の分があるので、結構、洗濯量は多い。だから、雇われた女性の半分以上が洗濯の担当になる。
当初は容姿端麗な若様の姿を見て、興奮していた女性達、ほとんどは未婚の村娘だったが、だんだん不安になってきていた。
一番の理由は、兵士達の様子だ。セリナも含めてみんな、兵士達は若様の護衛なのだと思っていた。だが、どうも違うらしい。時折、フォーリと対立することがある。さらに見ていると、兵士達には隊長がいるらしいことが分かった。護衛というより、監視のためにいるらしいのだ。
「おかしいわよね?だって、若様は本当は王子様なんでしょ。それなのに、若様って呼ばせることも変だし、気が狂ってるって話なのに、ぜんぜん狂ってなくてまともじゃないのよ。」
リカンナは不安そうに辺りを見回しながら、小声でさらに言う。
「分かんないわ。だけど、リカンナ、母さんが言ってた。下手に疑問を口に出さない方がいいって。知ってても知らないフリをした方がいいって言ってた。母さんは恐いけど、こういうことは正しいと思う。」
セリナが注意すると、リカンナはそうね、と頷いた。
「さっさとやっちゃいましょ。」
セリナの言葉にリカンナは頷いて、一緒に立ち上がった。
その時、炊事場の勝手口の方が騒がしくなった。悲鳴が上がる。慌てて二人は手に持っていた洗濯物を干して、炊事場の勝手口に走った。
「騒ぐな。奥の部屋に運べ。それから、ベリー先生を呼んでこい。」
すでにフォーリが雇われた村娘達と兵士達に命じていた。兵士達が使われていない板戸を使って、誰かを運び出した。人をかき分けて見ると、運び出されたのは若様の料理を担当している女性だった。口から泡を吹いてびくびくと痙攣している。思わず、息を呑む。リカンナを見ると、呆然としてその様子を見つめていた。
「何をしている。落ち着いて元の仕事に戻れ。」
フォーリはほとんどの人を持ち場に戻らせた。隊長らしき人が数人の兵士に床を掃除するように命じた。彼女が床に嘔吐したらしい。いつも掃除をする雇われた村娘達には命じなかった。
セリナとリカンナも洗濯場に戻った。洗濯物の残りを干していく。二人とも黙ったままだったが、たぶん、考えていることは同じだった。
おそらく、若様の命が狙われた。
それ以外に考えられなかった。あんなに可愛らしい王子様を狙う必要なんてあるのだろうか。いや、あの容姿で王様になったら、そりゃ、見栄えはいいでしょうけど、だからってそこまでして、追い落とさなければいけないものなのだろうか。平民の自分達には想像もつかない世界だ。
二人が桶を抱えて裏庭から続く通路を歩いて行くと、道のど真ん中でフォーリとジリナが立ち話をしている。二人ともセリナとリカンナの存在に気がついたはずだが、話をやめようとしなかった。戻ろうとすると、ジリナに下がらなくてもいいと言われ、二人は困惑したままそこに突っ立っているはめになる。
つまり、聞きたくなくても話を聞かなければならなかった。
「…では、若様のお食事はわたしがお作りしましょうか?」
ジリナの質問にフォーリは首を振った。
「いや、事態がまだはっきりしていない。食材の安全性も分からないから、私が作る。」
セリナとリカンナは耳を疑った。思わず顔を見合わせる。
(私が作るって、あの人、料理もするの!?…でも、ろくな料理じゃないんじゃないかしら。)
内心、セリナは疑った。
「では、親衛隊の兵士達の食事についてはどうするんですか?」
「狙いは若様だとはっきりしている。この屋敷には厨房が全部で三つある。そのうちの二つを使用しており、一つが若様専用だ。若様の料理担当が倒れたことからしても、誰が料理担当か把握している者が犯人だろう。」
「つまり、兵士達が一番、怪しいので兵士達の食材には毒は入っていないだろうということですか?」
ジリナの確認にフォーリは頷いた。
「そのとおりだ。」
「では、兵士達の料理は通常通りに作ります。まあ、村人の誰かが知らずに黒幕に利用されたとしても、兵士達と同じ料理を食べる訳ですから、自分達の食材に毒を入れるような真似はしないでしょうね。」
「そういうことだ。」
「あのう、そしたら、若様のお食事も、兵士達と同じ食材から作ったらいいじゃないんですか?」
思わずセリナは発言してから後悔した。ジリナとフォーリの二人にじろり、と睨まれる。
「若様に安全でないものをお出しする訳にはいかない。」
フォーリの厳しい声に、だって、あんた今、兵士達の食材に毒は入ってないだろうって言ったじゃないのよ、とセリナは心の中で反論した。
「とりあえず、今日の分はうちの畑から直接、抜いた物を持ってきます。」
「そうして貰えるとありがたい。」
「肉類は?」
「とりあえず、今日は私が鶏を一羽つぶす。明日以降については考える。」
フォーリは言って立ち去った。それを見届けてから、ジリナは二人を手招きした。
「お前達、これからやることを分かっているね?」
「…他言無用ってこと?」
セリナが聞き返すと、ジリナはセリナの頭をこづいた。
「違うね。何のためにあんた達に、今の話を聞かせたと思うんだい。みんなフォーリ殿の見解を伝えるんだよ。どうせ、噂話に花が咲く。みんな何か知っているか知りたがる。その時、あんた達が今、見聞きした話をするんだよ。」
セリナとリカンナは顔を見合わせた。
「でも、フォーリさんは承諾しているんですか?」
リカンナの問いにジリナは頷いた。
「当たり前さ。分かっているから、あんた達をわたしが引き留めて話を聞かせても、黙っていたんだよ。そうでなかったら、追い払われていたさ、最初からね。」
「噂話をするなって言われたり、しろって言われたりどっちなのよ。」
セリナが文句を言うと、ジリナは笑った。
「まあ、お偉方のやることなすことなんて、わたし達には矛盾だらけさ。だけど、無意味なわけじゃない。上が直接言ったら、それが確定してしまうだろう。だから、間接的にあんた達を使って伝えるのさ。」
「ふうん。」
「とにかく、頼んだよ、あんた達。」
ジリナも去って、二人はふうっと息を吐いた。
「…ねえ、あんた、あの若様が話しかけようとしても、無視して避けてたでしょ?」
リカンナが考え込むように言ってきた。
「え?うん。母さんがあまり、馴れ馴れしくするなって言うから。」
リカンナが聞いたので、セリナは答えた。
「でも、今日くらいは話してあげてもいいんじゃないの?だって、若様だって分かってるでしょ。自分を狙ってのことだって。誰かに話したい時だってあよ。話さなくても側にいて欲しいとか。」
セリナはリカンナを見つめた。深刻な顔でリカンナは続ける。
「だって、普通は恐いはずだよ。自分の命が狙われてるんだから。」
「…確かにそうよね。」
セリナはジリナにクビされるよ、とことあるごとに言われていたので、それを恐れて屋敷で働き出してから、若様と話したことはなかった。彼もセリナが避けていると分かったらしく、最近はあまり側に近寄らなくなっていた。ちょっと可哀想だったかも知れない。
こんな田舎の屋敷にいる時でさえこうなのだから、都にいた時などはもっと頻繁に、このようなことがあったのかもしれない。それなのに、クビになることばかりを恐れて、少しも話を聞いてあげなかったことをセリナは少し反省した。
「機会があったら話してみる。きっと落ち込んでいるわね。」
二人は頷き合って、屋敷に入っていった。
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