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「そうですよ。一瞬でも顔を出したら、ラッキーくらいなものです」
「一曲でもいいから。急いでくれ」
コンサートホールにはピアノをやめてから一度も行ってない。
私は完全に音楽から離れてしまっていた。
誰の演奏を聴かせようというのだろう。
「あの、私……」
断ろうとした私にチケットを見せた。
「チケットはある」
「途中から入れるんですか?」
「無理なら関係者で通す」
そんな無茶苦茶なと思っていると宰田さんが交渉してくれて、中に入ることができた。
音を出さないようにそっと重たい扉が開かれた―――
ホールの扉を開けると一気に会場の空気が流れ込んでくる。
その空気が過去を呼び起こした。
弾けなくなった瞬間と両親からの罵声、妹の嘲笑、そして暗闇。
嫌だ―――と思ったその瞬間、バイオリンの音がその過去を引き裂いた。
「知久の音は明るいだろ?俺ともまた違う、あいつは燃える炎の明るさだ」
バイオリンから奏でられる音は自信たっぷりで華やかで人を魅了する。
暗い気持ちを吹き飛ばしてしまうくらいに。
曲はパガニーニのカプリース。
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