雨を見て僕が思い出すもの

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今でも覚えている。 慎重に近づく僕を静かに見ていた彼女の顔にはなんの感情も浮かんでいなかったこと。 その顔には光が消え失せて焦点の合わない瞳が不気味に赤く輝いていていた。 全身は完全に脱力していて、気だるそうに僕を見上げる。 彼女は誰がどう見ても満身創痍な状況だったにもかかわらず、目の前の僕に助けを求めようとも僕を襲って血を奪おうともせず、ただ僕から目を話すまいとしていた。 なにか不気味なものを感じた僕は無意識に手に持っている傘を抱え直した。 「…だれ」 今でも覚えている。 鈴のように可憐な声が雨音の中でもはっきり聞こえた。真っ赤の瞳が僕を見ている。 僕は何も答えることができずに佇んでいた。しばらく沈黙を守っていると、やがて僕の返事を諦めた少女が空を仰ぎだす。 可愛そうな彼女を僕はどんな目で見ていたのだろうか。 目的のためならば人殺しも厭わない僕の性格ならば、きっと冷淡な瞳が浮かんでいたに違いなかった。 一歩、少女に向かって足を進める。 なんの反応も示さない彼女の様子を見ながら一歩一歩と慎重に近づいた。手の中に銀色に輝く十字架を握りしめながら側に寄っていくが、彼女はその銀色に抵抗の意を見せない。 通常の吸血鬼ならば十字架を手にした人間に対してひどく怯えた様子を見せるはずなのに。そこで僕はひどく違和感を感じた。 「空を、見せてくれませんか」 再び少女の声が響く。真っ黒な雨雲を見上げながら、小さくそう言っていた。 吸血鬼は太陽の下を歩くことができない。 なぜならば、もしも彼らが強い太陽の光を浴びてしまえば灰になってしまうからだ。吸血鬼は太陽の前では圧倒的に無力である。 だから彼らは太陽が隠れる夜中や曇り空のときにしか外を出歩かないし、その一生のうちに青い空を見ることもない。 もしやこの少女は自分が死ぬことを、吸血鬼が灰になる間際にしか見ることができない青空を最後に見たいと思っているのだろうか。 「…はぁ」 僕は、吸血鬼ハンターだ。吸血鬼を見つけたら拘束し、牢屋に入れることが僕の職務だ。青空なら、上の人間が少女を処刑するときに好きなだけ見れるだろ。 だから僕はいつも通り感覚で吸血鬼である彼女を縛りつけるためにその細い腕を取り、無言で引っ張った。 彼女は無抵抗に僕の手の中で縄で縛られる。そして、僕が乱暴に抱きかかえても無反応のままだった。 こちらとしてはとても助かることだが、生きることに何の欲も現さない彼女に一種の狂気を感じて、背筋がひやりとした。 無表情で、物を言わなくなった彼女を拘束所に送り出した。 こんなにも無気力な吸血鬼とは出会ったことがなかったため、本当にこれでいいのかと言う不安が残ったが。けれどもとにかく僕は、自分の仕事を全うしたのだ。 だが、その不安は当たっていたらしい。後々拘束所から送られた報告書に、僕は目を疑うことになる。 彼女は、太陽の光に耐えることができる吸血鬼だった。 それは今までに実例のないことだった。
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