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10月で14歳になる私は、学校に通ったことがない。お付きの者に教わり、必要最低限の、読み書きや計算などの知識はあるが、“神事を行うために必要なことにのみ関心を向けろ”という父の方針で、日々、湖を見下ろす高台の家にあるお堂で、巫女としての修業を強いられている。母は私を出産してすぐ亡くなり、父も再婚せず、一人娘なので、いずれ私が婿をとり、後を継ぐことさえ、すでに決定事項としてのしかかっている。
7歳のある夏の日、それが耐えきれなくて、家を抜け出し、森の中をめちゃくちゃに走り回り、腕や足に無数の擦り傷を負って、泣き出したのを、彼女が見つけて、手当をしてくれた。
その時から、今まで私はこの社にこっそり通い続けている。会えるのは、月一回の会合の数時間(まだ成人してないので、私は参加しない)か、たまに父が出かけるときくらい。
ほとんどの若者は、進学や就職を期に別の地へ行くというのに、私はどこにも行けない。
一時期は、それでもよかった。だって、ここには彼女がいる。気品があって、優しくて物知りで、母のように姉のように慕わしい「かみさま」が。
けれど、次第に、私たちふたりが、この地に縛り付けられているという事実が重くのしかかるようになった。
外に出るたびにそこかしこで、「次の巫女様」「村をどうか守ってください」と老いた声が囁く。
父には「巫女として」様々な制限を課せられている。何せ、本物の神を有している(とても嫌な言い方だけれども)ために、期待を裏切ることは許されないという無言の圧力が、私を日々がんじがらめにする。
私だって、それに黙ってと従えないほどに、好奇心はある。たまに父の目を盗み、下働きの人に無理に頼み込んで、読まなくなった本や雑誌(父が“低俗で、くだらない”と忌み嫌っていた)を持ってきてもらってこっそり読んだり、ないしょでパソコンをいじったり。父たちが下品だというだろう若者の言葉も、今の流行りも知ってる。だからこそ、この村の呆れ返るほどの古さには、絶望混じりにうんざりさせられ通しだ。
もし、父の言うなりに婿をとり、子を産み、安易に動けなくなってしまえば、この閉鎖的な空気にじわじわと蝕まれて、やがて腐り落ちるのではないか。
埒もない空想は、やけに現実的に心を追い詰める。そうすると、慕わしいかみさまですら、私を閉じ込める役割を果たしているのではないか。などと、底意地の悪い考えすら芽生えてくる。そして自己嫌悪にかられる繰り返しに陥る。
かみさまは、もっとここに縛られているのに、どこまでも、私のことばかり考えて、あさましい。そのことに怒っていたことすら、自分本位の感情なのではないか。
いや、それでも。
綺麗な花の名前、近づいてはいけない動植物など、たくさんのことを教えてくれたこと。
湖の水を操り、空中を泳ぐ魚を見せてくれたこと。
優しく微笑んでくれたこと。
その記憶さえあれば、禁忌など恐るるに足りない。その気持ちに偽りはないのだ。
真面目に、柔順を装えば、社が建てられた時代から伝わるという古い書物だって読めた。だから、そこに彼女を自由にできる方法を見出すこともできた。
私が、かみさまを解き放つ。絶対に。
そう、意気込んでいた。
脳裏で思考を巡らすうちに、私は険しい顔をしていたらしい。
「千代?」
首を傾げれば、ふわりと、彼女が持つ、得も言われぬ香りが漂う。
「かみさまは、自由になりたくないの」
そんなつもりはないのに、切っ先鋭い問いになってしまった。彼女は、自らの境遇に怒ったり憤ったりする様子がないのだ。それどころか、じっと受け入れている節すらある。確かめたかった。彼女を縛る本当の鎖を。
しばし、じっと視線を絡ませた後、かみさまは目を伏せ、膝の上で両手を握りしめる。
「妾は罪を犯した」
「罪……」
かみさまは、ゆっくりと頷いた。
――そなたが、聞いている昔話には、少し嘘がある。いや、語られていない箇所か。……昔から畑作が盛んだったこの村に、雨などの水は不可欠。だから村人は妾を祀った。湖は、妾がこの地を見守ることにした際にできたもの。しかし、時が経つにつれ、人々は妾への信心を薄めた。ついには社の手入れすら怠るようになり、妾は神の国へ帰ることにした。
それからは、村人が乾きに喘ぐ姿を、意地の悪い気分で眺めていた。
しかし、その中で一人、毎日雨を願い、賢明に祈りを捧げる娘がいた。ある夏、その娘の前に姿を現したのは、興味でしかなかった。
娘が気づいて初めて顔をあげ、妾が動揺するあまり起こした夕立の中、恋におちた。あの橙色の空で、ただただお互いを見つめ合ったのは、今も忘れられない。それからは村に必要なだけ雨を降らせ、作物が実るように手助けをした。社を新しくさせ、また住むことにした。そこで、親を亡くし近隣の手伝いをしながら一人で生きる娘と語らう日々は、何百年生きてきた中でも、得難く、美しかった。けれども、器量よしの娘は、近くの集落の庄屋の息子に嫁入りすることが決まっていた。離れたくないのはお互い同じだった。
嫁入りの当日、妾は大雨を降らせ、集落までの道の途中にある川を氾濫させ、出ていくことも、迎えに来ることも封じ、娘の生気を……命を奪った。
「……どうやって」
「接吻を」
表情こそ変わらなかったけれど、わずかに頬をあからめたのが、暗くなりつつある中でもわかった。
「神である妾がその気になれば、人の生気を吸い取ってしまう。あれが、最初で最後の接吻だ。……娘もそうだと、微笑んで息絶えた」
それから、人は妾を悪神と呼んだ。でも、妾の力は必要としていたから、この縛めで力を弱めた。妾は、されるがままになった。責任を取らなければならない。この村は、妾と娘を裂こうとしたが、娘が助けてほしいと願った村だから。
「……それに」
「え?」
「いや。……ここは、元々あの娘の住み家だった」
ボロボロの天井を見上げる彼女の横顔は、憂いと哀しみを含んでいて、それ以上何も言えなかった。
不意に、会ったばかりの頃の、記憶が蘇る。
“かみさまの着物の柄は、なんていう花?”
“ヤマユリだ”
“かみさまが好きな花?”
“……昔、この花を見ると、笑顔になる人がいた。だから、妾の着物にヤマユリの姿を写した”
着物に咲かす花は、想い人への手向けなのだ。
気づけば、凍えるように冷たいのに熱く煮える、不可思議な感情の波に襲われ、しばし黙りこくっていた。
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