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食事があらかた終わった。
部長がお手洗いで席を外した時を見計らって、先に会計を済まそうと店員を呼んだが、既に支払済だった。
「初回のメシぐらいおごらせてくれてもいいのに」
仕方なく、店員にお冷を2つ貰い時計を見たら23時前。
帰宅するには良い時間だろうと思った。
俺は、少々酒を飲んだが、部長は一滴も飲んでない。
このあと飲み直す事もないだろうと思った。
そんな事を思っていたら部長は帰ってきた。
食事でリップが剥がれた部長の唇が、再度リップで艷やかになっていた。
「おまたせ。あ、お水、ありがとう。さてと、そろそろ行きますか」
そう言って、部長はそろりと水が入ったコップに口を付けた。
「そうですね。ここの食事、美味しかったです──あの、お金ですが──」
そこまで言うと部長はパタパタと手を振りながら。
「いいの、いいの。気にしないで。スーツの事もあるし、それに──今後、私自ら宮下君のフィッティングを行い、私の解釈の生地を調達し、ルキウス様の公爵衣装の少々のアレンジデザインをした上で衣装製作。さらにウィッグとカラコンの調整。あと、ポージングの練習とスタジオ抑えて、最高のルキウス様をしてくれたら、いーからね」
「──今後、そのように出来るように励みます……」
──コスプレ。
キャラクターを知るのはまぁ、大事だと思ったが。
俺の予想ではドンキ? とかで? 売っているような物を買って、ルキウス様ぽっいポーズを撮ってスマホで送ったら終りと思っていたが想像の5倍。
いや、それ以上の部長の熱量でルキウス様の配下は恐ろしいと思った。
そんな俺の考えをよそに部長は「だから、いいの。気にしないでね。今度はそのへんの話もしつつ、宮下君のコミュ改善に向けても話をしていかないとね」と、笑った。
──次もある。
それは嬉しいと思った。
ただ、がっついたら引かれると思い。
「よろしくお願いします」
と、だけ伝えた。
そうして店を後にした。
外に出ると、夜とは言えまだ飲み街のネオンが明るく人も多かった。
しかし、俺と部長の帰り道は逆だった。
人の気配があるとはいえ、部長一人で駅まで歩かせるのは気が引けたので駅まで送って行くことにした。
そうしたら、部長は視線をきょときょとさせて、ありがとうと、俺に言ったが何だか落ち着かない様子だった。
──少々強引だったかも知れないと思いつつ、今だ落ち着かない様子の部長に話題をふって暫し、夜の街を歩いた。
「部長って案外フランクだったんですね。僕知りませんでした」
「……わ、若い子に送って貰ってる……!! こ、こんなのいつぶり!? 乙女ゲーのイベントみたいっ」
「? 何か言いましたか?」
「いえ、何でもありません。えっと。仕事は仕事。プライベートはプライベート。その線引きも大事にしてきたのだけど──推しが死んだし。もう、部下に、宮下君に土下座した時点で、私をさらけ出した時点でもう、いっかなーみたいな」
「……別にコスプレやオタクは悪い事ではないと思いますが」
「そうね、悪い事ではないけれども。偏見が無いことは無い。コスプレって言ったらエロいとか思われがちだしね。まぁ、それは仕方ないよね。オタク趣味もそんな感じよね」
ふふと、ちょっと困ったように部長は笑った。
確かに有名人もオタクと言うのをカミングアウトしてその層からファンを獲得している人もいたし、引かれてしまったパターンもある。
俺は黙ってこくりと頷いた。
「別に認めろって言う訳じゃないけれど、好きな物を否定されると悲しくなるから、この年になるとまぁ黙ってるのが無難かなって」
「そうかもそれませんね」
「だから、宮下君が否定せずに肯定してくれて良かった。本当にありがとう。だから仕事頑張らなくちゃ!」
「……そうですね」
そう笑う部長は、仕事の時の余裕のある笑顔ではなくて、無邪気な女の人の笑い顔だった。
素直過ぎて俺にはなんだか、眩しくてそっと目線を外してしまった。
そんな感じで飲み街を抜け、駅まで後ちょっと。
ショートカットした街の中の公園を抜けた時にそれは起きた。
初めは夜に相応しくない、明るい大きな笑い声がして。
そしてひゅっと、部長の頭に何か近づくものが俺の視界に映った。
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