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そして、俺の背に氷里さんの声がぶつかった。
「私じゃだめかなぁ。割と何て言うか。同族的な匂いがするから上手く行くと思うんだけどなー」
入社したばっかりならアリだと思った。
それは言ったところでどうしようもないと思ったので口に出さなかった。
その代わりの言葉を紡いだ。
「前後不覚になった──僕にも落ち度があるからもう、これ以上は何も言わない。そっちもそれで手を打ってくれますか?」
「……嫌だけど、おっけー」
嫌なのか。
本当は色々と何故こうなったか問い詰めてやりたいがこの場を出たい気持ちの方が勝った。
服はクローゼットにあると、俺の気持ちを汲んだように氷里さんの気の抜けた声が続いた。
それを聞いてから近くにあったガウンを羽織り、素直にクローゼットに向うと服がキッチリと掛けてあった。ご丁寧にもスマホの充電も完璧で眼鏡もその横にあった。
本当はシャワーでも浴びたいが、手早く着替える事に集中した。
しばし、室内に衣擦れの音だけが響く。
時計を見ると9時だった。
そして、着替えが終わり荷物をチェックして、忘れ物をないかと確認にしていたところ、すっと細い腕が俺の胴体に回ってきた。
どうやら背後から抱きすくめられたようだった。
「……何してるんですか」
「悪あがき」
「これ以上、悪手を重ね無くても」
「ねぇ。好きな人要るんでしょ? その人と上手く行かなくて、私が待って居たりしても──いや、なんか無理っぽいな。待つとか──ないか」
「自分で分かってるなら、わざわざ言わなくても」
「ん。えっと。その。ごめんなさい。私、宮下クンの彼女になりたかった。好きとかじゃなくて、自分のものにしたかった」
そう言って、俺の胴体に回った手はゆっくりと離れて行った。
「あ、お金とか置いて行かないでね。何だか余計に惨めになるから」
俺が財布に手を伸ばしたのを目ざとく見たようだった。
思わず顔を見ようかと思ったが、やめた。
今どんな顔をしているか見てしまったらちょっと流されてしまいそうになる予感がした。
それぐらいに背中に圧倒的な存在感を感じでしまった。
氷里茉里。
何とも恐ろしい女だと思った。
そして、捨て台詞を一瞬考える。
──氷里さんだったら僕より素敵な彼氏が見つかりますよ。
──もっと出合いが早かったら。
──自分をもっと大事に。
どれもこれも何だかしっくり来なかった。
もう、これ以上彼女に重ねる言葉はないと思った。
なので、視線を思いきり反らして氷里さんの横を通り過ぎる時に頭を──さらっと撫でた。
そしたら「ムカつく」と言われた。
俺は苦笑しながら部屋を、ホテルをあとにした。
外に出るとやたらと朝日が目に染みた。
鳥の囀りが妙に新鮮に聞こえた。
きっと、コトはなかったと思う。
酔い潰れた俺を何だか分からないが、氷里さん的に──魔がさしたのだろう。
もう、そう思う事にした。
朝に全く相応しくない深いため息しか出て来なかった。
「……長い一日だった。ってか、やっぱりここ何処だよ。もう、早く帰って寝よう……」
周囲はラブホ街だと分かったが見知らぬ場所だった。スマホで位置情報を探そうとスマホを見て見ると──花村やら何やらラインの通知が鬼のように来ていた。
そして部長からも何か通知が来ていた。
何だろうと思って見ると「色々と私のワガママに突き合わせてしまい、ごめんなさい。でも次のイベント楽しみにしてます。これはほんの気持ちです」とコーヒーショップのギフトコードが一緒に贈られていた。
「……今、このタイミングでとか……惚れてしまうからやめて欲しい……」
スマホを握りしめながら、このギフトコードは期限ギリギリまで取っておこうと思った。
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