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「おねえさんはパパのお友達だったの?」
鈴のような声で奏が問いかける。奏(かなで)は響紀と音羽の子供だ。声変わり前の幼さがあどけない。斎場でだだをこねていた奏を、唄はひっそりと連れ出したのだ。無邪気に笑う口元が、若き日の響紀を彷彿とさせた。
「……ねえ、奏くん。奏くんはお姉さんのこと好き?」
「ぼく? どうだろう。おねえさんと会ったの、今日がはじめてだから、よくわかんない」
「うふふ。実はね、奏くんが赤ちゃんのころから、お姉さんは奏くんのこと知ってるのよ」
「ほんとうに?」
「そうよ。お姉さんは奏くんのパパとママと奏くんが産まれる前からのお友達だったの」
「そうなんだ……」
奏の歩幅が遅くなる。唄はわざと奏の手を強く引いて、前進した。
「ねえ、おねえさん。そろそろ帰りたい。ママが心配してる」
「ママが? パパが焼けるのが嫌だって言ったの奏くんでしょう。他の人のガイコツ見ちゃって泣いたのは奏くんでしょう?」
「でも……ぼく、ママに何も言わないで外出ちゃった。おねえちゃん、もうお散歩したくない。パパのところへ帰ろう?」
奏が不安がるのも無理はない。唄が歩く道の片側は墓石が立ち並ぶ来園であった。
「そうね、奏くん。パパのところに帰ろう」
「やだ、まって、おねえさん。なんで元の道に帰らないの? なんで? ぼく早く帰りたい!」
「パパのところに帰るには、このまま進むほうが近いのよ」
唄は傘を投げ出し、奏の身体を抱き上げる。
「おねえさん……?」
「奏くん、重くなったわね」
一度持ち上げた身体を下ろし、唄は奏をぎゅっと抱きしめる。傘がなくなりずぶ濡れになっても、奏の身体は温かい。まるで響紀と肌を合わせたあの日のように。
「おねえさん、痛いよ……離して」
「奏くん。私のこと『唄』って呼んでみて。そうしたら離してあげる」
「うた? おねえさんの名前なの?」
「そうよ。ほらほら、早く呼んでみて。パパのところに帰るのが遅くなっちゃうわ」
「う、唄おねえさん」
「おねえさんはいらない。名前だけ呼んで」
「……唄?」
「ああ……ありがとう。ありがとう、奏くん」
唄は奏を胸に抱いたまま、ふたたび歩を進める。傘を置き去りにし、霊園を抜けると、そこは切り立った崖になっていた。神の思し召しだと、唄は感謝した。
奏の助けを求める声は稲光に掻き消される。雷鳴と豪雨で視界も悪くなる。崖下を見下ろすと、そこは雨水が溜まり、小さな湖のようになっていた。
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