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「奏くん。あなたはパパとママに祝福されて生まれてきたのよ」
「唄ちゃん、帰りたいっ。離して。離してよっ!」
「でもね、これだけは覚えておいて。奏くんが生まれてきたのは、私が響紀さんを愛していたから。愛していたからこそ、私は身を引いて、そして奏くん、あなたが生まれた。私が響紀さんを愛していなかったら、あなたはこの世に生まれてこなかったのよ」
「もういやだ! 助けて! 助けて、ママっ!」
「美羽……あなたのママには奏くんがいるでしょう? だからあなたのパパ……響紀さんをお姉さんにちょうだい」
「パパだってぼくのパパだ! おねえさんは関係ないっ!」
「……私のこと、唄って呼ぶって約束したじゃない。奏くん。あなたも私との約束を破るのね。響紀さんそっくり」
「うるさい!」
「奏くんが響紀さんと私の子供だったらよかったのに」
「おねえさん頭おかしいよっ! 意味わかんない!」
「私のことは唄って呼べって言ったでしょっ!」
ごろごろごろ……どしゃーんっと激しい稲妻が唄の足元に落ちる。
「ぎゃああああああっ!」
唄の視界が急転する。
「おねえさんっ!」
奏が崖の上から手を伸ばす。少年の表情は確認できない。身を案じてくれるのだろうか。それとも解放されて安心しているのだろうか。
墜落の瞬間、唄が見たのは大学時代の淡い思い出。響紀に抱かれて、男の子が生まれた。名前は奏。唄と響紀は結婚し、幸せに暮らした。響紀は生涯でただひとり、唄という女を愛した。唄もまた、響紀だけを愛した。
走馬灯というものはつぎはぎだらけの映像フィルムのようだ。映されたものが真実であろうと幻想であろうと、死にゆく者の脳裏を駆け巡る。
「響紀さん……」
響紀さんに逢ったら何をしよう。何という言葉をかけよう。きっと響紀さんは唄を迎え入れてくれる。かつてのように、唄を愛してくれる。
柚木唄が最期に見たものは墨のようにどす黒い空を覆う雷雲であった。
了
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