絵里のために

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               ※  絵里は、不幸の星の下に生まれたのだと思う。  次に会った時、絵里は「とりあえずこれだけ」と茶封筒を取り出した。中には一万円札が一枚だけ入っていた。  元よりいっぺんに返して貰おうとは思っていない。僕はそっくりそのまま、封筒を彼女に突き返した。 「僕に返すのはいつでもいいよ。今は色々と大変な時期だろうから、手元に置いておけばいい」 「ごめんね、ありがとう」  絵里のほっとしたような笑みを見て、僕も胸を撫で下ろす。  この調子で、彼女の憂いが全て治まれば良いのだけど。  アパート退去の危機は乗り切ったものの、絵里の表情が浮かないのは仕事の問題が解決していないせいか。  それとも他にも何か、問題を抱えているのか。 「大丈夫? 何かあれば、すぐ言ってくれよ」 「うん。でも、あっちゃんに言ってもどうしようもない事だってあるから」 「そんなの言ってみなきゃわからないじゃないか」  むきになって言い返す僕に、絵里は言った。 「……お母さんが、危ないかもしれなくて」  僕は激しく後悔した。確かに僕の手には余る問題だった。  絵里の母親は全身のあちこちに癌が広がって、もう長くはないらしい。彼女は仕事上の問題を抱えたまま、重病の母を毎日のように見舞っているのだ。 「ごめんね。だからもしかしたら、しばらく会えなくなっちゃうかもしれないけど」 「何言ってるんだよ。その時はその時だろ。僕の事はいいから、できるだけお母さんの側にいてあげなよ」 「うん。ありがとう」  こんな時なのに、会えなくなるのを気遣ってくれる彼女の優しさが嬉しかった。  絵里は子供の頃から相変わらず、他人の事ばかり気にして自分を顧みない優しい子だ。  僕はそんな彼女が好きだったんだと、懐かしく思った。
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