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 狙った時間に起きることができて、一安心。箱は眠っているようだ。着の身着のまま靴下だけはいて、扉に手をかけた。深呼吸する。勢いそのままに開く。まるできれいな川の砂粒のように輝いたものが、きらきらと空に散らばっていた。私は一歩も前に進めない。これが星なのだ。いつもの夕空の先にはこれが輝いていたのだ。  少し目が慣れてきたので、時計を目にする。まだまだ時間はある。星の灯りといつも歩いている記憶を頼りに、あの丘をめざした。耳が痛くなるくらいの静かさに包まれている。外に出て分かったけれど、これが昔の小説で読んで知った“しじま”という単語の意味なのかもしれない。部屋の生活音もなく私の足音だけが響く。無数の家の中で無数の人が息を殺しているのだろう。悪いことをしているという実感はとうに消えた。世界中で私だけが今、この夜を独り占めにしているという無敵にも似た感覚が、足を軽やかにする。  あっという間に丘に着く。目が慣れたとはいえほぼ闇。吸い込まれそうで、見下ろしているという感覚はなかった。けど、いつもの景色がこんな顔を見せるとは知らなかった。大きく息を吸い込む。 「何してるの」  背後からの呼び掛けで、心臓が止まる。 … ……トン …………ドキュン。動き出した。じわっと背中から冷たい汗が吹き出た。足の指先から頭まで、金縛りにあったかのように動けない。確かに夜中に起こりがちだけれど。血の気が引くというやつか。振り返ることができない。  振り返るとどうなるのだろうか。やはり、捕まって、しまうのだろうか。誰に?ラジオに?こんな箱に?  恐る恐る振り返ると、声の主は1mほど離れたところに立っていた。  白っぽいニットを着た男性。年は暗くてよくわからない。少し年上だろうか?よかった、箱じゃなかった。普通の人だ。  ほっとして、なんだか変な安心感から「あなたは?」と問いかける。 「質問したのはこっちなんですけど」  感情のない声で男性は続けた。でも、怒っていたりはしないようだ。確かに、と思った私は考える。多分彼も同じような人なのだと、この箱の隙をついている人だと容易に予想できた。私より先に、夜に歩けることを知ったのだろう。 「星がきれいな夜だから、歩いてみたくて」 「怖くないんだ?」  おかしなことを言う人だ。こんなにきれいな空なのに。 「むしろ、きれいだなぁと」 「いや、僕のことが」  あ、そっちか。なんで怖い道理があるんだよ。 「夜は出歩いちゃダメって教わらなかったの?」 「嘘しかないもん」 「なにが?」 「この手元の箱だって24時間動いて見張ってるっていうのに、今だってなにも言わないし」 「実は今も静かに動いてるかもしれない」 「動いてたところでどうもしないわ」 「ならルールを破ってる僕に何か襲われたりとか考えないの?」  おー、それは考えなかった。なんでだろうか。物騒なことを言う割に右手をポケットに入れてるし、左手はだらんとしてるし、まぁ、なんとなく自分が襲われるとかそんなイメージが浮かばなかったのだ。正直。 「メリットがないから、でどうでしょう?」 「なんで、僕にそれを問うの」  クスクスと笑ってるのはわかった。 「じゃあ、その箱は何時まで動かないのか知ってるかい?」  時計の針が止まって見える。 「……あと数分後くらいに動き出す……」  私は来た道を見やる。まぁそんなには歩いてないし、ちょっと走って帰ろうか。ふと、気付く。そこの彼にこのまま、何も言わずに帰るのは一般道徳で言うところの失礼なんだろうか。  とか考えてくれると彼は言った。 「あのさ」 「はい」無駄に堅くなってしまった。 「また会えるかな」  これまた考えてなかった。私は、つとめて機嫌よく見える笑顔を作って、答える。 「いつかは……会えるんじゃないでしょうか。それじゃ」 「ありがとう。行きなり声かけてごめんね」  私は小走りで戻る。道すがらなんだかんだ、色んな嘘に文句を言ってきた自分が、まだこの箱に時間を管理されている事実に腹が立ったし、そういえば置いてこなかったことにもなんだか気分が萎えた。  それと同時に言葉にするとどうしようもなく安くなる気がしたから閉じ込めたけど、私こそなんだか彼に会えてよかった。  誰にも言えない秘密がまた一つ、増えた。全部夢なんじゃないかって思ったり。
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