Ⅱ. 川島

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 ここ最近の夜よりも涼しいと感じて、カーテンを開けると、夕立だった。  川島が帰国してから、三ヶ月ほどが過ぎた。  川島は、持っていたうちわをテーブルに置いた。うだるような昼間の暑さが信じられないほど、冷えた空気が吹き込んでくる。  真夏の夜に降る夕立ほど、ありがたいものはない。  ノートパソコンを閉じると、部屋に灯りが無くなった。窓辺に腰かけ、都会の灯りが雨に揺れて、なんとも美しかった。しばらく、降り続いてほしいと願った。  インドでの取材を元に、新聞や雑誌に寄稿した結果、各地での講演会の依頼も舞い込んできている。 ――インドを発つ前日の朝、ラジェッシュと共に、コルカタにある原子力省傘下の公社ビルに乗り込んだ。  事前にアポも取っていなかったが、日本から取材に来たことを告げると、責任者が出てきて面会に応じてくれた。  ウラン鉱山で撮影した写真を見せると、公社の責任者は、意外にも紳士的な対応をする。 「これはひどい。責任者として、知らなかったことを詫びます。現地に連絡して、すぐに対応させます。ただ……」  劣悪な作業環境を認め、改善すると約束してくれた。一方で、国策であるウラン鉱山を閉鎖することはできないとも断言した。 「なぜですか? 核の無い世界を作りましょうよ。それが、世界の潮流ですよね!?」 「核問題は、一個人がどうこう出来るものじゃないことぐらい、ご存じでしょう? 国威、国策、国際問題……それに、経済や財政面なんかも含めて、いろんな要素が複雑に絡み合っているんです。わかってください」  川島は、公社に乗り込む前から、そう言われるだろうと想像していたので、大して驚かなかった。ルドラからも、他の働き口が無いのなら、閉鎖するようなことを進言するなと言われている。 「か、彼らはどうしようも無いんですかね……。ここで働くしか、選択肢が無いんですかね」  写真の中の、鉱山で働くルドラを指さして聞いた。 「可哀そうと思う気持ちは分かります。今後は、そう思わせないように、作業環境をしっかりと整えて、対価も検討しますので、今日のところはお引き取りください」  公社を後にした川島は、ジャドゥタゴには戻らなかった。いや、戻れなかったといった方が正解かもしれない――  夕立は、しばらくして上がった。  ジャドゥタゴで語り合った時の、期待に胸を膨らませた、ブシュカの晴れやかな顔が、今でも目に焼き付いている。  あの時、川島は、ワインのつまみにブシュカの手料理を口にした。  込み上げてくるものがあり、胸が熱くなる。夢を熱く語るブシュカに感動しただけではない。  彼女は、、川島のために料理を作ってくれたのだから。  インド取材の記事で得た寄稿料は、約束を守れなかった償いのつもりでラジェッシュに送金している。ラジェッシュが、ブシュカ兄妹に手渡してくれると約束してくれたのだ。  資金援助したところで、根本的には、彼女らの生活が変わらないことは目に見えている。彼女らを救おうと思えば、採掘の仕事に携わらなくてもいいような、産業を誘致してあげないといけない。  (いち)ジャーナリストに、そんなことができるのだろうか。 「必ず、もう一度戻ってくるから」  あの時、自ら吐いたあの言葉を、決して忘れてはいけない。  ブシュカは、きっと、いつまでも覚えているはずだから。  川島が今できる、せめてもの抵抗は、原子力エネルギーを使わないということだ。  屋根に設置したソーラーパネルだけで、過ごしている。昼間はエアコンも付けることができて快適だが、夜は、バッテリー容量もあって厳しかった。  テーブルのうちわを再び手に取り、あおぐ。  ノートパソコンを開けて、ルポルタージュの続きを打ち込んだ。
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