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Ⅰ. ブシュカ
村外れの川で洗濯をした帰り道、ブシュカは、ため池のほとりで、全身が白ずくめの男を見た。男は、チラムのような長い筒のついたカメラを池に向けている。
ため池に出入りするダンプカーは、大量に積まれた石くれを池に注ぎ込んでいるが、対岸では、赤土で囲まれた池を拡張しようと、数機のショベルカーがひっきりなしに動いている。埋め立てたいのか、広げたいのか、なんともちぐはぐな光景だが、ブシュカにとっては見慣れたものだった。
白ずくめの男は、大きなリュックを背負い、それらの光景を引きも切らず撮影している。
やっぱり、あの人も不思議に思って写真を撮っているのね。
ブシュカが眺めていると、男はそれに気付いたらしく、手を上げて近づいてきた。
ブシュカは、咄嗟に逃げようとするが、すぐに思いとどまる。
この辺りで村人以外の人間を見るとしたら、公社の社員しかいない。公社の人間なら、決まって二人以上で行動するので、この男には当てはまらない。
だとすると、こんな観光産業も無い、インドの僻地に何をしに来たのか、興味が湧いた。
蜂避けのつもりなのだろうか、男は、頭をすっぽりと覆う、大げさなフィルターのついたマスクを被っている。
「こんにちわ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんは、この先の村の子かな?」
訛りのひどい英語である。ブシュカは、お嬢ちゃんと呼ばれるほど、若くはない。侮辱されているのかと身構えた。
クリアなシールドの向こうにある顔と目が合う。男は、東洋人に見えた。
「ジャドゥタゴに住んでるの?」
ブシュカは驚いて、息を飲む。異国の人間が、ブシュカの住む小さくて貧しい村の名前を知っているなんて、信じられない。
「こんな身なりをしているけど、怪しい者じゃない。君たちの味方になりたいんだ」
男は、大げさに両手を広げた。シールドの向こうの顔は、正直者のようにも見える。汗が噴き出していて、とても暑苦しそうだ。
「おじさん、暑くないの? 脱げばいいのに」
心のどこかで、男を信頼してもいいのではないかという思いが芽生えた。
ブシュカは、ずっと、自分を救ってくれる王子様が現れると信じていた。この男こそ、その救世主ではなかろうかと期待が膨らみ、胸が高鳴った。
「いや、これには、事情があってね。今は脱げないんだ」
白ずくめの装束は、異彩を放っている。ブシュカの思い描いていた白馬の王子とは、似ても似つかない。衣装も取らず、その理由も明かさないこの男を信じてよいのか、判断に迷う。
「ふーん」と言って、ブシュカは歩き出した。
ついてきたければ、ついてくればいい。どうせ、盗られて困るものなんて、何もない。
男は、後ろを歩きながら、自らをカワシマと名乗った。そして、ジャドゥタゴ村を取材したいのだと言った。
村に入るとカワシマは、アニクやダーシャ、アールシュといった村の子たちにカメラを向けていた。みんな、骨が曲がったり、指先が無かったりと、生まれつき障碍を持っている。
子供らに、お菓子を配り、目線の高さを合わせて、愛想よく話しを聞いている。
アニクもダーシャも心を開いて、話している。お菓子を貰えたことが嬉しかったに違いない。
ただ、村一番のやんちゃ坊主であるアールシュだけは、口を閉ざしたまま、何も語らなかった。きっと、相対しても尚、マスクを取らないカワシマのことを信用できないでいるのだろう。ブシュカは、アールシュの気持ちを察して、頭を撫でてやった。
「この村に、ホテルなんか、無いよ。うちに泊まっていく?」
日が暮れかけてきたので、カワシマを家に誘った。アールシュの頭を抱きながら、カワシマの反応をうかがう。
「いいんですか!? すいません。お言葉に甘えます」
カワシマは、素直に喜んでいるようである。
アールシュは何を思ったのか、カワシマの腰にぶら下がっている箱に手を伸ばした。
「あ、ちょっと」
カワシマが気付いてアールシュの手を払ったが、遅かったのか、けたたましくて甲高い機械音が辺りに響く。驚いたアールシュが、ブシュカにしがみついてきた。
ようやくカワシマが警告音を止めた時、荷台にたくさんの村人を乗せた公社のピックアップトラックが村に入って来た。
真っ先に荷台から降りたのは、ブシュカの兄のルドラだった。
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