3.田中芳樹のアイシカタ

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3.田中芳樹のアイシカタ

 いや、性別を越えて両想いなんだからきっとうまくいくだろう。  そんな、我が子の巣立ちを見送る父親のような心でいたというのに、現実は違った。  俺の気持ちの整理の為、暫くは叶ちゃんに会わないと決めて、昼からバイトを入れていたりしたので就活サポート課を訪れて居なかった。だから、それを知ったのは数日後だった。 (………何? 恵まれた容姿に生まれたから、その代わりに神様に遊ばれてるとか?)  曰く、あの日俺の代わり(と言う名目で)にバイト先に行ったら秋夜はシフトを休んでいて会えなかったそうだ。……しかし、それにしても酷い落ち込みようだ。何と無く、ただ会えなかっただけではない気がした。……俺の勘はよく当たるから、きっと、何かあったんだろう。 「………しょーがないな、叶ちゃん。今日は飲むか!」 「………芳樹、未成年じゃん」 「俺は飲まないよ。叶ちゃんが飲んで。あと、晩飯奢って」  結局、タダ飯目的じゃん、と笑う顔には少しだけ元気が見られた。 「…何時に終わるの?」  いかんな。少し、嬉しくなってしまう。誤魔化して、仏頂面になったと思う。 「五時半が定時です」 「いつも思うけど、夏休みって教職員何してんの? 仕事あるの?」 「色々ですーぅ」  一旦解散して、また夕方に正門で落ち合うことになった。  居酒屋の引き戸を開けると、いらっしゃいませー! と直ぐに声がかかったが、叶ちゃんは何故か弾かれたように踵を返して店を飛び出した。 「あっ! ちょっと! 叶ちゃん!」  驚いてかけた声にも、彼は振り返らない。足早に店から離れていく彼の背中を追い掛けた。 「叶ちゃん! 待てって!」  やっとその腕を捕まえて、叶ちゃんも立ち止まる。  俺達は暫く無言でいたが、蝉達の煩い声が沈黙とは無縁だった。じわりと沸いた汗が叶ちゃんの腕を湿らせる。気持ち悪くないかな、と思っていたら叶ちゃんが振り返ったので、捕まえていた手を離した。 「…何?」 「いや、何? って。店、入んないの? 何? さっき話してた男に嫉妬したとか? ならかなり重症なんですけど?」  先程の居酒屋は勿論、秋夜がバイトしている大学の近所の居酒屋だった。  叶ちゃんが踵を返して去って行く前、中では同じ歳くらいの男に接客している秋夜の姿を見た。見たことがない程リラックスした表情に、その日に出会ったような相手ではないだろうと察することは容易い。ひょっとすると、地元の友達が遊びに来ているのかもしれない。それも、かなり親しい奴。  俺も少しそわっとしてしまった。叶ちゃんは、尚更、気が気ではないのだと思うけど…。それにしてもだ。  しかし、叶ちゃんは何処か自虐的に嗤う。光の灯らない、翳った目だ。こんな顔、今まで見たことが無かった。 「…………シュウヤ君には、ずっと前から好きな人がいるんだ……」  ポツリ、と溢すように言う。ああ、なんだ。そう言うことか。納得した。その落ち込み様はそういう事だったのか。  しょうもな、と思ったままに、「うん、それで?」と声が出ていた。 「それで? だから? 叶ちゃんが秋夜の事を好きなのと、なんか関係ある?」 「…………」  涼しい顔で言ってやれば、流石の叶ちゃんもムッとした顔をする。 「………僕の片想いなんだなってこと。結局」 「…………なにそれ、本気で言ってる?」  これには流石に腹が立った。鈍感にも程がある。俺の苛立ちに、叶ちゃんはどこまでも鈍感に首を傾げた。今度こそ、俺はその苛立ちを隠さずに低い声で続けた。 「望み薄なの知ってて近付いたくせに、急に臆病になるってのは…女々しくない? 何がしたいの、叶ちゃんは」 「………」  俺の眼光に、叶ちゃんはたじろいだ。  夕方であっても和らがない日差しに、頬を伝った汗がポタッとアスファルトに落ちた。少しの沈黙の後、ゆっくりとその形のいい唇が動いた。 「………期待するのが、怖いんだよ。…わかんない?」 「全然わかんない」  間髪入れずに言い放ってやる。 「芳樹にはわかんないよ」  そんな俺に、仕返しのように、しかしそのわりにはかなり幼稚な反撃を不貞腐れた顔で叶ちゃんがする。 「当たり前じゃん。じゃあ、叶ちゃんに俺の気持ちわかるの?」  はい、反撃返し。  本人も自分が酷く幼稚なことを口走ってしまった自覚があったのだろう、押し黙る。俺は一つ息を吐いて、対抗するようにいきり立ってしまった気持ちを落ち着けた。 「叶ちゃんの気持ちはわかんないけど、一つだけ、確かなことがあるよ。教えてやるわ」  静かに、告げる。ちょっと得意気にふんぞり返ってしまった。まぁ、これくらい許せ、拗らせ両片想いが。  叶ちゃんは少し不満そうにしていたが、結局何も言わずに続く言葉を待っていた。 「秋夜のキーホルダーは、クマがコーヒー飲んでるんだよ」 「え」  そう、叶ちゃんと全く同じデザイン。  叶ちゃんの通勤バッグに秋夜が持っていたのと全く同じそれを見付けて、思わずに笑ってしまいそうになった。お揃いじゃん、って。なんだよ、やっぱり両想いなんじゃん、って。ほんと、秋夜は天然にそんな可愛いことをする。  ぽかんと口を開けている叶ちゃんにも、その意味するところくらいわかるはずだ。  それって、と声にならない声を零す叶ちゃんに、俺は首を頷かせた。 「………どういう意味を持つのかは、本人に聞けよ。でも少なくとも、叶ちゃんがそう言う風に距離を取るのは、今の秋夜はまるで望んでないことだと思うけど?」 「……………」  脳がフリーズしているのであろう。何も発さなくなった叶ちゃんに、俺はやっぱり息を吐く。「じゃ、俺、帰るわ」流石に、これから二人で飯……なんて気分でもなかった。 「よ、よしきっ…………!」  やっと金縛りが解けた叶ちゃんの声が後ろから聞こえたが、俺は後ろを振り返らずに、ヒラリと手を挙げて応えた。  あとは、もう。どうぞ、上手くやってくれよ。ほんと。頼むから。  祈りを込めて。
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