2.好きな人の幸せを願う

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「叶ちゃーん、喉乾いたぁ~」  そうこうしている内に、夏休みに入る。  結局、叶ちゃんと秋夜は仲直りをしていない。…と、思う。  いや、本当は、確かにこの二人がそういう関係なのかと言う確証すら無かったけれど。全部俺の勘で、言ってしまえば妄想だった。 (………いや、妄想だったら、良かったのかもな……)  苦笑する。 「芳樹。此処、カフェとかじゃないんだけど?」 「知ってる。此処、タダだもんな。カフェと違って」  何度目かの、わりとお決まりになったやり取り。  俺の苦笑に気が付かなかった叶ちゃんは、ちょっと呆れた声で俺を迎えてくれる。迷惑そう、にしているのは気心知れているからで、それが演技(スタイル)なのだとわかるから俺はやっぱり、くすぐったさを覚える。「いつものー」「自分でいれてねー」「ケチー」なんて、気安いやりとりがこそばゆい。 (…あーあ。好きだなぁ…)  また苦笑した。  それを見られないように、カウンターに伏してゴロゴロとする。やがて、よいしょと席を立ち、ドリンクバーでいつものピーチティーを入れてから再びカウンターの席に座った。 「何? 元気ない?」  ほら。この鈍感で、美人男子の心を知らないオトコは、けれどいつも、俺の変化に目敏い。 「…金がない」  嘯いた。…いや、嘘じゃないけど。 「バイトしたら?」 「してるけど」 「どしたの? なんか、ハマった?」 「……………ハマってるちゃ、ハマってる………」 「うん?」  なんと言えばいいのかと考えながらだったので、歯切れの悪い物言いなった。  叶ちゃんは首を傾げる。……叶ちゃんの顔も相変わらず中性的で、そんなことをされるとちょっと可愛く見える。秋夜とは系統の違う可愛さだ。女体化するとしたら、叶ちゃんはふんわり系女子で、秋夜はクール系女子(実は天然ドジっ子なのがポイント)だ。…あ、いや、どっちも女にしたら今度は百合になっちゃうか。  脳内で百合展開を始めそうだった邪念を追いやり、「秋夜がバイト始めたの、知ってる?」と切り出した。 「知ってるよ」  肯定する叶ちゃんの声は、何だか静かだった。感情を殺しているような。努めて、感情をのせない声。俺はやっと、ピエロになる決意をした。 「大学の近くの居酒屋なんだけどさ。……分かる? 彼女が居酒屋で働く、彼氏の心境ッ…!」  わっ! と泣き出すように、大袈裟に顔を両手で覆った。それは勿論演技だったけれど。  叶ちゃんが何も言葉を紡がない内に、矢継ぎ早に続ける。 「あいつ、美人じゃん? 時々、めっちゃ可愛いじゃん? 初見は女にしか見えないじゃん? 居酒屋って酒飲むじゃん? 酔っぱらいばっかじゃん? あいつ結構、ボーッとしたところあるじゃん? ーーーダメじゃんッ!」  叶ちゃんは困ったように笑って、「えーっと…」と思案した。程無くして、思い至るところがあったらしい。ああ、成程! と言うような顔をした。きっと、その頭の中では、『秋夜の事が心配→様子を見に店に行く→当然、飲み食いする→心配なのでシフトの度に行く→飲み食いする→金欠』という、正解の流れが浮かんだのだろう。 「心配で通ってるんだよ~…! もう金がねぇよー………ッ!」  そのタイミングで、はい、貴方の憶測は正解です! とばかりに分かりやすく嘆いて見せれば、「ぞっこんだねぇ」なんてまた、苦笑を浮かべる。 「秋夜だぜッ?! 心配になるじゃん!」 「わかるわかる」  え、何? その余裕。  俺の重ねた嘆きを、叶ちゃんは適当にあしらう。 「叶ちゃんまでなんか冷たいッ! えっ?! 俺達、同志だったじゃん?! 叶ちゃんも秋夜の事好きだったじゃん!」  好きだった、とつい口走ってしまった。あ、と思ったけど口から出た言葉は取り消せない。まぁいっか、と観察して見た叶ちゃんは、動揺を隠して平静を取り繕っていた。……ように見える。 「待って。芳樹、まさかそれ、お酒?」  なんて、はぐらかす。おいおい、いい大人が。誤魔化すの下手くそか。 「んなわけないじゃん」と気安いやりとりをした後、わざとらしく溜息をついて、軌道修正をした。 「はぁ~。今晩も秋夜が心配だよ~。でももう、金がないよ~。叶ちゃん、貸してぇ~」 「ダメ。無理。返ってくるアテが無さそう」 「うっわ、世知辛! じゃ、今晩は俺の代わりに秋夜を、見守って~…」 「……」 「あいつ、直ぐ絡まれそうになるんだよな。まぁ俺が睨みを効かせてるんだけどさぁ」 「……」  ほれ。会いに行く為の口実ですよ。  と、渡したバトンをしかし、叶ちゃんは受け取らない。苦い顔をして渋る叶ちゃんに、俺は遂に痺れを切らした。 「………なぁ、叶ちゃん」 「うん?」  今も何かしら思案している叶ちゃんは心ここにあらずだ。もう、めんどくさいな。余計なこと考えんなよ。  ふと、キーホルダーのことを思い出した。秋夜から貰った、あのクマのキーホルダー。後で、秋夜も自分にそれを買っていたのだと知った。いつも持ち歩いているトートバッグにつけていた。 「俺さぁ、秋夜から『おはようコールありがとう』って、キーホルダーを貰ったんだよね…」 「………へー」  俺に買ってくれて。自分のも買ってて。まさか、『彼女』に買ってないわけが無かった。俺の勘は当たっていたようで、叶ちゃんの相槌はどこかよそよそしい。 「秋夜さぁ、六月上旬辺りだったか…そこらでさ、急に『おはようコールはもう大丈夫』って言うんだ。そんでさ、あいつ、大学の近くに住んでるのに、電車で来てる日とかあって」 「………」 「訊いてみたらさ、あいつ、『彼女』って言うんだ」 「えっ!」 「あいつ、彼女と同棲してたらしいんだよね」  へー、と言う声は平静を装っていたが、そわそわと落ち着かない。わかりやっす。あ、ほら、頬が緩んでんじゃん。わかりやす。  じっと観察していたら、目が合った叶ちゃんがハッとして固まった。にやけていたことに気が付いたらしい。 「…………あのさぁ、…秋夜の『彼女』って、叶ちゃん?」  俺からすると、満を持して、という感じだ。  もう誤魔化しは許さないという視線を送れば、しかし叶ちゃんは「…………違うよ」と観念した声で呟く。その響きは確かに、嘘は含まれていなさそうだ。 「……………ふぅん?」  なんだ、両片想いってやつか。  俺はもう、なんか…。色々と悟った。 「でも、好きだよな?」 「…………」 「(だんま)りかよ」  ついイラッとしてしまったが、直ぐに苛立ちを引っ込めた。俺、凄むとかなりガラが悪いからね。いくら叶ちゃんでもビビるかもしんない。それは、良くない。 「まぁでも、別れたらしいしな」 「………そう」 「そうそう。それとさ、俺のキーホルダーは本物の四ツ葉のクローバーが押し花みたいにされててさ、隣のクマのイラストはカラオケしてるんだよね。叶ちゃんのは?」 「えっ、…………………」  カマかけには結局黙りで、つい長い溜め息を吐いた。 「……別に。いーんだけどさ。叶ちゃん、なんか変わったよね。前はもっと面白かった。なんか、最近冴えないよ。つまんない。大人になるのって、つまんなそうだね」  一体何を気にしてんの? どんな(しがらみ)]抱えてんの? ーーーそんな風に、伝えたかった。  男だから? でも、叶ちゃんはあんな小者とは違うだろ? 大人だから? 歳の差? それとも、教職員だから? 「………ナマイキ言うなよ」 「あいてっ!」  ポカッと軽くゲンコツを喰らって、頭を撫でる。見れば、どこか吹っ切れたように叶ちゃんが笑っていた。 「今晩、お前の彼女の様子見に行ってやるよ」 「あ、そう? じゃあ、宜しくね」  こっちの顔の方がやっぱりいいよ、叶ちゃんは。  取り戻した覇気に、眩しく目を細めた。その想いの先に俺が居なくとも、叶ちゃんの背中を押した人間が確かに俺であったことを誇りたい。純粋に、嬉しかった。……そんな自分でいられたことに、ほっとした。嬉しかった。  俺の心の内なんて知らずに、「うん。あと、」と叶ちゃんは言葉を紡ぐ。 「クマのキーホルダー。可愛いよね。大学生男子が選ぶプレゼントかっ?! ってチョイスがツボだよね。萌えた」  すっかりいつもの調子を取り戻した叶ちゃんに、俺はついキョトンとしてしまった。やがて眉毛を下げて笑う。 「やっぱ、叶ちゃんなんじゃん」  と言うその声音は、自分で聞いても全く嫉妬や羨望のようなものが込められていなかった。  この不器用な二人が、どうか、うまくいきますように。  ーーーそんな願いが、籠っていた。
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