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結局俺は、二人の兄ちゃんと母親、それから双子の可愛い弟に背中を押される形で大学受験をした。
「………本当にいいのかな」と、願書を出しておいて煮え切らない俺に、上の兄ちゃんがカツを入れるように強めに背中をしばいてきて、「四年間、楽しめよ」と言ってくれたのには、思わず泣きそうになってしまった。
例えば、中二の時に初めて開けたピアスの事を思った。
一ヶ所ずつ。親に気が付かれたら止めようと思っていたけれど、気が付かれないまま、右耳には五ケ所、左耳には四ヶ所の穴が開いた。
初めて髪を染めた時もそう、親父は「イキがってだせぇ」としか言わなかったし、母親は夜遅く帰り、朝は早くに出掛けるので結局、丸三日も顔を会わせることが無かった。三日目にしてやっと顔を会わせた母は、「あら、髪、染めたの」とだけだった。
俺はなんだか哀しくて、虚しくて、やりきれなかった。
それでも、荒んでしまわなかったのはきっと、二人の兄と双子の弟のお陰だと思う。
「母さんは俺達の為に働いてる。俺は、母さんを楽にしてやりたい」が兄達の口癖だった。兄達はその言葉通り、働いた給料は家に入れていた。だから、双子の世話は俺の仕事。一緒に遊んでやったし、勉強も見てやった。悪いことした時には叱って、人に怪我をさせてしまうことがあれば、一緒に謝りに行った。
『田中芳樹』は、主人公にはなれない男だ。
そう気が付くのは容易いことだった。
親代わりの毎日は忙しく、時には更に、忙しい兄ちゃん達に代わってご飯を作ったりもした。家事も一通りのことは出来る。
友情だ、部活だ、恋愛だ、…そんな、漫画の中のような時間を過ごす余裕なんて無かった。目まぐるしい日々。誰も、俺のことなんか気にしちゃいない。気が付かない。俺ですら、そんなこともう「どうでもいい」と思っていなければやっていけなかった。
けれど、そう、家族は。
「四年間」。
俺に、自由をくれた。
見た目はすっかりこんなになってしまったが、元より、成績は寧ろ良い方で。地元の大学の偏差値はそこまで手の届かないものでもなかった。
春を目前に、俺の受験番号をその掲示板で見付けた。
「あ、あの時の。田中くんじゃん」
「あっ、神城サン」
知らない人達に紛れて、その声はよく通り、響いた。
『懐かしい』と思ってしまったその声の主の姿を見付けて、合格以上にじわりと沸き上がる暖かい感情があった。
合格を知り、思わず潤んでしまっていた目を咄嗟に拭う。でも、顔が笑ってしまっていたのだろう。まだ何も言っていないのに、「おめでとう」と神城さんが笑ってくれた。その言葉に、今度はじーん、と胸の奥が熱くなる。
まさか、会えるなんて。こんな日に。
陳腐な言い回しかもしれないけど、『運命』ってことにしておこうか?ーーー俺は、オープンキャンパスの時にした後悔を繰り返さない為に、ポケットの中のスマホを握り締めた。
「あのっ、連絡先とかっ…! 訊いちゃダメですか?」
「へっ? 連絡先?」
「はい!」
きょとんとした神城さんはしかし、直ぐに笑って、ポケットから名刺ケースを取り出した。中から一枚抜き取って、俺にくれる。
「これから入学の準備とかもあるもんね。気軽に相談してくれたらいいよ。電話でも、メールでも」
「あっ、ありがと…! ございます!」
その小さな一枚の紙を俺は大事に抱き締めてから、スマホを入れているポケットの中へ、折れないように気を付けて仕舞う。
(…これでまた、『縁』が出来た)
心が浮き足立つ。
入学するその日を、心待ちにした。
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