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2.好きな人の幸せを願う
2.
彼らは目に見えて変わった。
それから今日、大学から徒歩十分のところに住んでいるはずの秋夜が電車で大学に来ていた。本人の失言から知る。どうりで、そう言えば最近、講義後の夕方に飯行ったり大成や翔の家に泊まったりしなくなった。「彼女ができた」なんて言う。そんな浮いた話、聞かない。秋夜の事を「俺の彼女」と紹介して回ったので校内ではまだ、冗談を持ってではあったものの誰もが、秋夜の彼氏は俺であると思っていたし、俺らは依然として公認のカップルだった。
推測するに。
ひょっとして、秋夜は叶ちゃんと暮らしているのでは無いだろうか…? 叶ちゃんの家は電車で一駅のところにある。高級住宅街に一人暮らししていることを知っていた。
空腹で倒れるような人間の事を、あの叶ちゃんが放っておくわけがない。…叶ちゃんはそれでなくとも、秋夜に好意があったから。尚更だ。
朝は俺のおはようコールがなくても俺より早く大学に来ているし、帰りはいつも何かと理由を付けて夕方の講義後真っ直ぐに帰ってしまう。…俺も大体はバイトがあったので、毎日そうだったのかは知らないが。多分、そう。
「あ、にぃちゃん、おかえり!」
「………ただいま」
「飯は?」
「いる」
十八歳以下は二十二時以降は働けない法律のせいで、俺の帰りは早い。バイト後、俺が帰宅してもまだ両親は帰ってきていないし、兄ちゃん達もいない。
高校二年生になる双子の弟がきっちりと家事をこなして、帰宅した俺を迎える。…出来た弟達だ。高校二年生になろうと、その顔はやっぱり可愛いと思うし、年が近くともまるで保護者のように接してきた事もあって、その成長につい、親心で微笑んでしまう。
荷物を置いて、手を洗ってからダイニングに向かうとご飯が配膳されていた。白米に味噌汁。ホッケの開き。ホウレン草のおひたしに。甘めの卵焼き。…幸せか。
「にぃちゃん、今日もお疲れー」
「おー」
天使かな? うちの子、天使かな?
合掌して、まずは味噌汁から。そつなくウマイ。卵焼き。俺の好きな味。砂糖多め。
弟たちは今から風呂だからと去っていく。未だに二人で入るの、どうなの? 仲良し過ぎない? まぁ、可愛いからいっか。
(………いいじゃん、俺、幸せじゃん……)
ぽっかりと空いたように思っていた穴が、それでも何故か満たされない。
贅沢言うなよ、幸せだろ? 飯を食いながら何度も自分に言い聞かせたけれど、食べたものと一緒にその想いはなかなか嚥下してくれない。
点いていたテレビをボーッと眺めながら、すっかり心ここにあらずだった。考えてしまうのはやっぱり、秋夜の事であったし、叶ちゃんの事でもあった。
秋夜はまず、何だかちょっと取っ付きやすくなった。表情が変化するようになった。いつも、淡々としていたのに。クールな印象は未だにあったけど、冗談も言うようになった。笑うこともある。
叶ちゃんは、幸せオーラが凄かった。いつもニコニコしていたけど、拍車がかかっていた。なんなら、ニヤニヤしていた。表情が締まらない。構内で秋夜を見掛けたら声をかけて来た。何でもないように俺らの輪に入って話す事もあった。その時は絶対に秋夜の隣だったし、二人の距離は触れるくらいに近かった。
二人が並んでいるところは美男美女のようで絵になるだろうなと思っていたけど、実際、そうだった。息を飲んでしまうくらい、二人の周りは別世界だった。お似合いじゃん、と誰にも知られず嗤った。
(…………結局誰も、『俺』じゃなくて……)
秋夜が笑うようになるんだとしたら、それは俺の傍でだろうと自惚れていた。違った。
誰にでも直ぐに打ち解ける叶ちゃんと、それでも一番仲が良くて近しい存在なのは自分だろうと思っていた。違った。
はぁ、と息が零れた。
(………いいんだ。今は、人生の『余暇』だから……)
そう思うことにした。
家族が俺の為に与えてくれた、大切な『余暇』だ。大金と交換の、四年間。母親と兄ちゃん達が働いて稼いできてくれたお金で得られる俺の『自由』。それ以上の事を望むのは、きっと罪だ。
俺は、充分、幸せなのだ。
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