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私の大事な時間
従者スフレと主フィナンの暮らす屋敷でのある日のお話。
スフレ視点。
三月十六日午前六時半。
窓から差し込んでくる朝日に照らされながら、私…スフレ・モノクロームは目を覚ました。
古臭いながらも長年建っているこの屋敷の中で、今日も私の日課が始まる。
私は部屋のタンスから着替えを取り出し手短に身支度を整えタキシードに身を包んだ。そして若干速歩きになりながらキッチンへ向かう。
軽めの朝食を二人分用意し、大広間の長テーブルの上に並べ終えた後、屋敷の階段を一番上まで登った場所にある部屋へ足を運ぶ。
食事を作ったり掃除をしたりするより、今から行うこの仕事が私にとっては一番大変だと思っている。
なぜならば…自分の主であるとある女性を起こさなければならないからだ。
私は部屋にたどり着くやいなや扉を若干雑に開け、布団に包まる物体に声をかける。
「主、そろそろお目覚めの時間ですよ。起きてください。」
私が眠る主に声をかけると、もぞもぞと布団が動き始める。しかし布団から出てくるのは主と思われる人間の腕だけだった。
布団の中にいる主の名前はフィナン・ワニス。画家と小説家を営む、ちょっと変わった女性。
出てきた腕に指でつんつんと触れると、腕がスッと布団の中に戻っていく。なので再び声をかけるとまた腕だけが出てくる、触れるとまた引っ込む。その繰り返し。
ほんと、まるで猫みたいだ。と思わず思ってしまったが、いい加減時間も時間なので、いつまでもこの状態のまま居るわけにはいかない。
私はいまだ布団から出ない主の眠るベッドに軽く腰掛け、布団の中に自分の手を忍び込ませる。
そして彼女の手を白手袋越しに掴みながら口を開く。
「ほら、今日はあんたの好きなクッキーも昨日のうちに焼いておいたから。だから起きろ、クソ主。」
私がそう言い聞かせるように言葉を吐くと、さっきまでもぞもぞと動くだけだった布団が勢いよく床に投げ捨てられ、中に入っていた彼女が姿を現す。
彼女は嬉しそうに目をキラキラと輝かせ、私の身体にぎゅっと抱きつきながら言葉を返してきた。
「ほんと…!?チョコ?プレーン?いちご?」
「…全部の味作ってある。だから早く起きろ、フィナン。」
「やったぁ!嬉しい!スフちゃんありがとう!」
彼女への言葉に私が返答すると、その答えに大満足だったのか、彼女は私から離れた後嬉しそうに身支度を整え始めている。
クッキーなどなくても最初からそのぐらいの速さで起きてほしいものだが。
きっとそれが彼女にとって…主にとっての楽しみなのだろう。
それに、こうして彼女を朝起こしに来ることが、彼女と自分の分の朝食やクッキーを作ることが。
私にとっての日課であり、楽しみの一つでもあるのだ。
従者と主という関係でありながら先程のように敬語が外れてしまうのは、私と彼女が幼馴染という関係でもあるから。
この感謝の気持ちと複雑に抱いている感情を彼女に伝えるべきなのかもしれないが。
今はまだ恥ずかしさが勝ってしまうので、それはまた次の機会にでも伝えることにするが…。
少し時間が過ぎ午前九時頃、食事を済ませた私と主は広い洋室で会話を弾ませていた。
「裸婦が描きたい…。」
「唐突にものすごい爆弾発言したよこのクソ主。」
椅子に腰掛けながら爆弾発言をする彼女に私が言い返すと、なぜか彼女は私の方を向いてムスッとした表情を浮かべる。
「容赦なくクソとか言ったよこの子!主に向かって!そんな子に育てた覚えはありません!」
「いやあんたに育てられた覚えなんてねえよ!」
「いっそスフちゃんの裸を描けば解決じゃない?」
「その場合お給金二倍もらうからなフィナン。」
主呼びではなく名前呼びで彼女の名前を呼ぶと、彼女は少し嬉しそうな態度を取りながら私の頭をわしゃわしゃと撫でてくる。
「その割には名前呼びしてくるのね。スフちゃん本当に私のこと好きね。」
「…からかうなら今日のおやつのスコーンの時に、いつもの紅茶は入れてやらないからな…。」
「えーっ!!スフちゃんのケチーっ!!鬼ーーっ!」
ポカポカと私の肩を叩く彼女の態度に思わず笑みを溢しかけたが、見られないように顔を隠しながら私は彼女へ言葉をかけた。
「ほら主、今日は街で会談がある日ですよ。急いでお召し替えを。」
「はぁーい…。」
バツが悪そうに椅子から重い腰をあげ部屋から出ていく彼女を確認した後、開いていた窓を閉め、私も彼女の跡を追った。
彼女に追い付いた後、私はお召し替えを手伝い、屋敷の前まで彼女を連れていき車に乗り込ませる。
「..主が帰るまでにスコーンを焼いておきますので、精々サボらないように。」
「本当!?やった!じゃあ頑張ってくるねスフちゃん。」
「いってらっしゃいませ、主。」
車から嬉しそうに手を振る彼女を見送った後、私は屋敷に戻った。
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それから数時間後、私は美術館の代表との会談が終わり屋敷へ戻ってきた主に、中庭で紅茶とお菓子を出していた。
「ん~!やっぱり会談の後のおやつは最高~!」
「それは何よりです、主。」
「スフちゃんが淹れてくれる紅茶も美味しいし..これで貴女の裸描けたら更に満足..。」
「裸から離れろクソ主。」
紅茶とお菓子を堪能しながら爆弾発言をする彼女を抑制しつつ、私はスケジュール帳をポケットから取り出し、彼女の前でその内容を喋り初める。
「主、今日はまだお夕食後に仕事が一つ残っておりますので、あまり食べ過ぎないように。」
「そうねぇ..今日の仕事、私にとっては幸せ過ぎる内容だし..。待ちに待った裸婦の仕事...。」
「...は?」
彼女の返しに思わず口が悪くなってしまったが、私はわざと咳払いをした後、彼女の仕事内容を更に聞き続けた。
「...本当に裸婦の仕事なんて来たんですね..てっきり主の妄想で終わるものだと。」
「これでも一応私画家だよ!?スフちゃん忘れてない??!」
「画家全員が裸婦描きたいって毎日伝えてくるもんだと思うなよアホ主。」
なぜこんなにも裸婦を好んでいるのか私にはわからない。
けれど彼女は昔となにも変わっていない。
幼少期からずっと、大切な幼馴染だということも。
だからこそ、彼女の趣味や好みは出来るだけ尊重はしたいのだが、流石に裸婦を愛すというのは個性として強すぎるため同情ができなかった。
世の中にはいくら大事な関係同士でも、出来ないことも存在するのだとこの件で十分に思い知らされた。
だけど好きな事を仕事としてこなし、金銭を貰っている彼女を見ていると、なぜかとても安心する。
やっている内容はともかく彼女が自分が幸せになれる道を選んで生きているのなら、私は彼女に仕える身として、出来る事はしていきたい。
同情ではなく縁の下の力持ちのような、そんな存在として、従者として隣に居られたらと。
「ほんと、昔から変わらないよなこのクソ主は…ふふっ。」
そう一人で考えながらいたせいか、思わず彼女の前で笑ってしまった。
そんな私を見た彼女は、椅子に腰掛けたまま私の頬に自分の両手をそえながら言葉をかけてくる。
「やっぱり笑った顔が一番素敵ね、スフちゃん。」
「か、からかうなよフィナン…そんな暇があるなら早く裸婦の仕事を終わらせろ。それ以外の仕事もあるんだからなお前は。」
「むぅ…痛い所をつくなぁ…でもスフちゃんと一緒に居たいから頑張るわ。だからサポートよろしくね、スフちゃん。」
「言われなくてもそうするさ、フィナン。」
私がそう彼女に返すと、彼女はニコッと微笑みながらそえていた両手を離すと、座っていた椅子から降り屋敷へ先に戻っていった。
食べ終わったお菓子の皿を片付ける私に、まるで子供のように手を振りながら。
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そして夕食後、片付けをし寝る準備を終えた私が主の部屋を覗くと、珍しく彼女が自分から進んで仕事に取り掛かっていた。
キャンバスに向かう彼女の表情はいつもとは全く違い、普段の彼女からは想像がつかない程真剣そのもので。
身体が冷えないようにと差し入れに持ってきたココアを彼女に出そうか思わず悩むほどだった。
私がそう思いながら扉の隙間から彼女を見つめていると、彼女が私の存在に気づきこちらまで駆け寄り扉を開けてくる。
「どうしてそんな所で覗き見してるのかしら?」
「それは…その…あんたが真剣そうに取り組んでいたから入りづらかっただけで…邪魔するのも悪いし…。」
「邪魔になんてならないわ、寧ろスフちゃんが居てくれたほうがやる気が出るもの。ほら、中に入って一緒にそのココア飲みましょう?せっかく二つ持ってきてくれたんだから。」
彼女に背中を軽く押されながら部屋に入った私は、彼女と一緒にココアを飲みながら彼女に仕事の進捗を聞き始める。
「フィナン、仕事どのくらい進んだんだ…?」
「それなりには進んだわ。でも裸の写真を見ながら裸婦を描いているせいか、あまり出来栄えに納得できてないのよね…直接裸見れたほうが描きやすいのに…。」
「世の中には直接見せたくない人もいるって事なんだろうさ、私にはわからないけどな…。」
首をかしげそう悩む彼女の話を聞きながら、思わず私はうつらうつらとしてしまった。
それに気づいた彼女は、私と自分の分のココアをテーブルに置いた後、私の手を引っ張りながらベッドへ移動し私に言葉をかける。
「ほら、一緒に寝ましょう?私も少し疲れちゃったから、スフちゃんも眠いでしょう?」
「寝るなら自室に戻る…二人寝るのはフィナンが狭いだろ…。」
「狭くなんてないわ、だから今日はスフちゃんと一緒に寝たいかなぁ。」
「…好きにしろ。後から狭いって言ったら怒るからなフィナン。」
「わーい、スフちゃん大好き。ぎゅー」
彼女にぎゅっと抱きつかれ、そのままベッドに倒れた私と彼女は寒くないように布団をかけお互いに見つめ合っている状態となった。
「見られていると寝にくいんだけど…。」
「そう?私はスフちゃんの顔が見れてとても幸せよ、えへへ。」
彼女はそう言いながら私の手を握りながら微笑んでくる。
私の顔が見れて幸せなんて、よくもまあそんな恥ずかしくなる事を簡単に言えちゃうのだろうかこの主は…。
自分の気持ちを嘘偽りなく真っ直ぐ伝えてくる彼女に私は思わずすり寄ってしまった。
そんな私の行動を見た彼女は私のおでこに軽く口づけをし、続けて言葉をかけてくる。
「おやすみ、大好きなスフちゃん。また明日ね。」
「…おやすみ、フィナン。また、明日。」
彼女と見つめ合いながらそう言い合った後、私は目を閉じ眠りについた。
これが私の大切な主…彼女との失くしたくない大事な時間なのであった。
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