30人が本棚に入れています
本棚に追加
高校生×社会人(片思い)
いつもの朝の、いつもの電車。
今朝もあの人が、いつもの駅から乗り込んでくる。決まった車両の、決まった入り口から乗車すると、先客に取られていない限りはいつもの吊革を手に取り、都心のターミナル駅で降りてゆく。細身のスーツが似合う、いかにも大人、という印象の素敵な人。その人に会いたくて、ううん、会うとかではなくただ通学中の電車で揺られるひととき同じ空間を共有したくて、僕は、いつもの時間のいつもの電車に乗り込む。
名前は、知らない。
勤め先もどんなお仕事なのかも、家族の有無や、恋人はいるのか、とか。だって僕はただいつもの電車で、何となく顔を合わせるだけのいわば風景の一部で、あの人の人生に割り込む余地なんてファミレスに置かれた紙ナプキンほどもない。そんなわけで毎日、何と言うこともなくただ同じ電車に乗りあの人を遠目で眺める日々を繰り返していたのだけど、ある朝、母親と進路のことでちょっとした口論になった僕は、いつもの電車に乗りそびれてしまった。
別に、ショックというほどではなかった。今日はもう会えない、でも、だったら明日。僕にとってもその程度のささやかなイベント。気にしない。そもそも名前さえ知らないのに。そう自分に言い聞かせ、いつもより一本遅い電車に乗り込む。
やがて電車はいつもの駅に停車する。見慣れた看板。見慣れたホームの景色。なのに今日はどれもやけに余所余所しく見える。あの人に会えないと思うだけでそこはもう見知らぬ町なのだ。そうこうするうち電車はブレーキ音とともに停車。ドアが開き、無言のまま足速に乗り込んでくる乗客たち。
その、無機質な流れの中に。
「え……?」
見間違い、ではなかった。
あの人がいる。いつもより一本遅い電車。いつものように細身のスーツでびしりと身だしなみを整えた、それでいて大人の余裕を感じさせるあの人がーー遅刻なんて子供じみた失態は間違っても犯さない、そんな印象のあの人が。
やがてあの人は、ふと僕の方を振り返る。しまった、あまりにも凝視しすぎて気付かれた。ごめんなさい、別に他意はありません、ただ、いつもと違う電車で思いがけず会えたことが嬉しくて。
そんなことをあれこれ考えていたせいで逸らすことを忘れていた僕の目に映る、あの人の、初めて見る柔らかな微笑。どこか照れを含んだ、でも屈託のない笑みに、ひょっとしてあの人も、僕に会えて嬉しいのかな、なんて都合の良いことを考える。
あるいは、そう、僕のためにわざと電車を遅らせてくれたのかな、とか。
つい緩んでしまう頬に気づいて慌てて顔を引き締める。でも、一度抱いてしまった想像は簡単には消えてくれない。何だろう、気持ち悪いなほんと。ああ、でも。
「……はぁ」
困ったなぁ。
ただ、会えるだけでよかったのに。
最初のコメントを投稿しよう!