1 中島緑の帰還

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1 中島緑の帰還

 ふう。やっと着いた。  わたしは、山の中腹にある母校の門の前に立った。  平成が始まって数年経った、5月吉日。  わずか3年1か月ぶりだけど何もかもが懐かしい。学校銘板(めいばん)(学校名を書いた金属製の板)はもう少し字が光っていたような気がするなあ。  リクルートスーツの着崩(きくずれ)れを直してチェックしておこうっと。わたしが選んだ濃紺(のうこん)のスーツ。完璧じゃん。  時間は……左手首の腕時計で確認。9時50分。  10時から学校で打ち合わせだから、いい時間だ。えーと、卒業生とはいえ一応事務室へ来訪(らいほう)の挨拶をしないとね。確か玄関を入って左側が事務室の受付窓口だったよね。わたしは、受付の引き戸を開いた。 「失礼します。この(たび)御校(おんこう)教育実習(きょういくじっしゅう)でお世話になります、東京科学教育大学4年の中島(なかじま)(みどり)です。本日は、実習の打ち合わせに参りました。ご担当の方にお取次(とりつ)ぎ願えますでしょうか」  やった。昨日練習しただけあって意外と(なめ)らかに言えた。 「あら、中島さん? 今度実習に来るのは、あの中島さんだったのね。たしか緑さんよね」 「あ、はい。お久しぶりです」  声を掛けてくれたのは事務部長さんだ。私を覚えてくれていたのね。感激。 「覚えているわよ。あの合唱コンクール。ちょうど今頃だったわよね。私も見学させてもらったけど、強烈だったわよねえ」 「お恥ずかしいです」  そうか、事務部長さんには私は強烈なイメージで残っているのね。    事務部長さんは、ニコニコとして 「あの中島さんが教育実習かあ。先生を目指しているの? 頑張ってね。実習の打ち合わせは、第2会議室だからそちらに行って。勝手知(かってし)ったる我が家だから場所は分かるでしょ」  と言った。 「はい。ありがとうございます」  わたしは、持参した上靴に()き替えしずしずと、2年生の教室の前を通り、第2会議室に向かった。今は授業中で静かだ。  と、思いきや。教室の入り口の引き戸が勢いよく開いたと同時に女子生徒が飛び出してきた。教室の中から教員の声がする。 「おい、どこへ行くんだ! 戻りなさい! 」  女子生徒は、振り向きもせず早口で言った。 「トイレだよ! 」  わたしと女子生徒の目が合った。彼女の方が背が高いのでこちらを見下ろしている。怖! 一瞬、(にら)むような目つきだったが、直ぐにわたしを無視(むし)して行ってしまった。 「先生やけん言うて、うれしげに言うなよ」  女子生徒は讃岐弁(さぬきべん)のいうところの『先生だからといって調子に乗るなよ』という()台詞(ぜりふ)をのこしてすたすたと行ってしまった。  教室から、中年の男性教員が出て来た。眼鏡をかけて小太りしている。わたしの知らない先生だ。 「お騒がせしてすみません。何か御用ですか? 」  男性教員も、私のことを知らないので来客かと思ったのだろう。丁寧(ていねい)に言った。 「いえ、あの、わたし今度教育実習でお世話になる中島と言います。今日は、その打ち合わせに来ました。第2会議室に行く途中です」 「ああ、そう。教生(きょうせい)か。第2会議室は、廊下の突き当りの右側だよ」  そう言って、入り口を閉めて授業に戻って言った。教室はざわついていた。  わたしは何気なくクラス表示のプレートを見た。2年8組……か。おっと、早く会議室に行かないと遅刻する。早歩きで第2会議室に向かった。 2 3人の実習生につづく
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