アメノチハルト

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 一時帰国を終えてドイツに戻る日、急な雨に降られて私は困り果てていた。 「あーもう……せっかくのワンピースが台無し」  長い黒髪を絞りながら空を見上げた。家を出た時は晴れていたのに、雷鳴と共に滝のような雨が降ってきた。湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつく。  うるさいくらい鳴いていたセミは静まり返り、街が鈍色に染まる。雨はアスファルトから熱を奪い、蒸し暑さがいっそう増した。商業ビルの軒下にかけこんだけれど止む気配はなさそうだ。びしゃびしゃになった真新しいサンダルを見つめながらため息をつく。  幼なじみの北斗(ほくと)は傘を取りに行ったまま戻ってこない。一人じゃ物騒だから空港まで付き添うと言ってくれたけれど、こんなに濡れたワンピースじゃタクシーにも乗れない。  仕方ないなと思いながらすそを絞っていると、黒髪の男性が雨水を蹴散らしながら軒下に飛び込んできた。  肩に下げたギターケースを下ろすなり、手のひらで雨水をぬぐい始めた。ケースの形状からしてエレキギターかしら、日本のバンドマンは大変ね、と思っていると男性と目が合った。 「あっ、(るな)!」 「えっ……春人(はると)じゃない!」 「うわーびっくり! いつ帰ってたんだよ!」  黒い瞳を揺らして笑ったのは、一緒にバンドをやっていた春人(はると)だった。  彼は私を見下ろしながら髪をかきあげた。落ちた前髪から雫が滴る。二年前に私が日本を発った時よりも精悍な顔立ちになって、真っすぐ見ることができない。私はうつむきながら口ごもる。 「こっちでモダンバレエの公演があったから、二週間前から……」 「何だよー水くさいな! 連絡くれたら行くのにさあ」 「端役なのよ。あなたを呼ぶのは主役を射止めてからって決めてるの」 「相変わらずプライド高いなーそれでこそ俺の(るな)!」 「どさくさに紛れて『俺の』とか言わないの!」  明るく笑う春人の肩を叩きながら、頬が熱くなるのを感じた。整った面立ちも声が大きいのも出会った頃と変わらないのに、触れた肩は以前より厚みを増していて手を引っ込めてしまう。  高校一年の秋から三年間、私は『アステリア』のベーシストとして活動していた。春人はフロントマンでギター&ヴォーカル、幼なじみの北斗(ほくと)はドラマー、一つ年上の流星(りゅうせい)はギター担当だった。  活動三年目になる直前、左手の不調で流星が離脱、その後私もモダンバレエのコンクールでドイツへの留学が決まり、アステリアは三年の契約満了を持って活動を終了した。今は春人がソロ活動をし、北斗は時々バックバンドとして参加している。
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