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第一話
ベスティヨル王国に、朝が来た。
王都の民が目覚め、更に王都の外に広がる広大な森にも暖かな陽光が降り注ぐ。
その森の中で一人の男が、まるで隠遁者のような暮らしをしていた。
その者の名を、クロスと言う。
彼の日課は、まず最初に己が暮らす住処の周囲の、トラップを確認する事だった。
アルファ種であるクロスは、その下腕から透明な細い糸を繰り出す事が出来る。
昆虫人は、生まれて間もない時は、上腕・中腕・下腕と呼ばれる三対の腕を持っている。
それが思春期に入る頃に変化を始め、大概の者はベータ種と呼ばれる形態へと変化する。
ベータ種は中腕を残して、上腕は翅鞘になり、下腕は後翅となる。
後翅を開く事で、距離がさほど長くは無いが、飛翔が出来る。
アルファは、人口の一割程度の確率で現れる種で、三対の腕がどれも翅に変化しない。
腕はそれぞれ、鎌状の鉤爪を備え持った上腕、ベータと同じ役割を果たす中腕、糸を操る特殊能力を備えた下腕へと変化を遂げ、飛翔は出来ないが、下腕の繰糸能力により飛翔に等しい跳躍が出来る。
アルファの特出している点は、その変化だけでは無い。
身体能力はもちろん、判断力や精神力など、全てにおいてベータを上回る。
その恵まれた種であるクロスだが、彼はアルファ種同士の抗争に疲れて、今は王都から外れた場所で、一人で暮らしているのだ。
トラップは、太古の昔、その名の通り『罠』として使用されていた。
多くの獲物を捕らえて、アルファが己の能力を誇示しつつ、引き連れている民に餌をばらまき、腹を満たす役割を担っていた。
しかし昆虫人の進化の過程において、アルファは自身が狩りに出る事を学び、それに伴って上腕の爪がより攻撃力を持った進化をとげた。
繰糸能力は、アルファの攻撃性が上がるにつれて、飛翔に近い移動や、接敵時の対処などに使われる事が多くなり、現在ではトラップを作るアルファはほぼ存在しない。
それをわざわざ作っているのは、単にクロスが、その木のウロと見間違えそうな質素な住処に、アルファが居る事を周囲に知らせるためだ。
あくまでも目印に過ぎないそれは、本来の『罠』としての意味は無い。
故に、少し強く風が吹けば、千切れて霧散してしまう。
彼にとってそれは、自分の住処に誰かを近付けさせないための威嚇でしかなかったので、誰かがそこに囚われる事は望まないからだ。
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