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第三話
散々迷ってから、クロスは瀕死のオメガを、己の住処の中に担ぎ込んだ。
一般的なアルファならば、住処の中には家令としてベータを雇っていたり、侍らせているオメガがメイドのように立ち働いているが、クロスの住処に人影は無い。
簡単な仕切りで区切られた場所にある寝床は、適度な弾力のある柔らかい糸をクロスが紡いで作り上げたものである。
クロスはそこに、抱えていたオメガの体を横たえさせた。
痩せ衰えてほとんど瀕死に近い状態のオメガを、わざわざ連れ帰るなど、他のアルファが聞いたら呆れて笑い飛ばされるような行為だ。
ぼろぼろの翅をそれ以上傷つけないように気遣いながら、クロスはまずオメガの体に付いている水分を拭ってやった。
朝露と汚れを落とすと、痩せ細った体と同じように、顔もやつれていたが、それでも目を引くほどの美貌が現れる。
思わず手を伸ばして、少し蒼ざめた相貌に触れようとした瞬間。
オメガの四肢が不自然に強張り、薄い唇から絞り出すような呻きが溢れ出す。
不意に閉じていた瞼が見開かれ、オメガは己の体を二つに折り曲げた。
ヒートだ。
クロスはオメガを手放し、一歩後退った。
オメガの放つフェロモンに巻き込まれたら、アルファの自分は間違いなく、この瀕死のオメガに発情してしまう。
これが、オメガの人権が認められない、もう一つの大きな理由だった。
オメガ種に変化した場合、三ヶ月に一度程度の頻度で、必ずこの発作に見舞われる。
発作を起こしている間、オメガの体臭は発情香と呼ばれる独特の甘い匂いに変化し、それを嗅いだアルファ種は、ケダモノ同然に発情してしまう。
元々全ての能力に優れるアルファは、精神力も強いのだが、唯一このオメガの発するフェロモンにだけは抗うのが難しい。
もし本能に駆られるまま、このオメガを抱いてしまったら、厭世して一人、此処で暮らしている意味を失ってしまうかもしれない。
そう考えたら、ゾッとした。
やはり、オメガなど家の中に持ち込むべきではなかったと、後悔が脳裏をよぎる。
そうしたクロスの逡巡の間にも、オメガは苦悶の表情を浮かべ、唸った。
荒く息を吐きながら胸を掻きむしり、時に言葉にならない声を上げる。
見開いた目と、激しい発汗。
全身を小刻みに震わせながら、オメガは己の肩を指が食い込む程強く掴む。
身を縮こませてはいきなり仰け反り、クロスの作った柔らかな敷き布を引き裂かんばかりに掴んでは顔を埋めて呻き声を上げる。
それを何度か繰り返した後、オメガは己の股間に手を伸ばした。
自慰行為は、ヒートした体の熱を、一時収める事が出来る。
だが、この痩せ細ったオメガにとって、それが最良の選択かどうかは、疑問が残った。
それ以前に、ここまで衰弱しているオメガにとって、ヒートそのものが体力を大幅に削り取るだろう。
しかし、完全に理性を本能に塗りつぶされているように見えたオメガは、一瞬自慰行為に耽りそうな様子を示したが、強固な意志を持って己の手を自身の股間から引きはがして、寝床に顔を突っ伏した。
クロスは、少々信じがたいものを見せつけられ、しばらくの間ただ呆然と目の前のオメガの姿を見つめてしまった。
己の身に襲いかかる嵐のような、強い衝動に苛まれるこの発作を、ひたすら耐える事でやり過ごせる者がいるとは思っても見なかった。
顔を突っ伏して耐えていたオメガが、堪えきれなくなったように苦悶の表情のまま唸るような呻き声を上げた事で、クロスはハッとなる。
オメガの傍へと戻り、クロスは細心の注意を払って、細く骨の浮き上がった肩口に噛み付いた。
アルファだけが持つ、牙のように鋭利に尖った犬歯が、薄い皮膚を突き破る。
途端にオメガの口から悲鳴にも近い声が挙がり、それはやがて悩ましげな吐息へと変わった。
アルファの体液は、ヒートを起こしたオメガに取って、媚薬であり、鎮静剤であり、毒物だ。
太古においては、アルファの体液は、ただオメガのヒートを沈静化させるだけの効果しか持たなかった。
しかしオメガを捕らえ、隷属させ続ける事によって、アルファの体液は変化した。
隷属させたオメガを縛り付けるために、ヒートの感覚が短くなる効果…つまりは一種の依存性に近い効果だ。
更にセックスの最中は、快感を増大させる。
アルファの体液を一度でも摂取したオメガは、もうそれがなければいられなくなると言う寸法だ。
どれほどの期間、アルファの体液に触れていなかったのか解らないが、クロスが牙を突き立てた瞬間に、彼は射精していた。
ぐったりと再び意識を手放してしまった腕の中のオメガを、クロスは名残惜しげに寝床の上に横たえさせた。
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