3,部屋

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リビングのダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら、美和は「田園交響曲」を聴いていた。 子供の頃に聴いた曲ということで、この曲を聴くと平和で夢に満ちた子供時代がよみがえる。それに彼女自身の子供と過ごした日々が、音色から生まれるパステルカラーで彩色されて戻ってくる。 第一楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」 第二楽章「小川のほとりの情景」 第三楽章「田舎の人々の楽しい集い」 ヴァイオリンをはじめフルート、オーボエ、ホルンなどの管弦楽器が、完璧な調和の元に田園風景を表現する。 心地よい羽根枕のように曲に身を委ねて、うたた寝することができる。 しかし第四楽章で、そののどかさは突然断ち切られる。 「雷雨、嵐」 驟雨に草木はかき乱され、人々や動物は慌てて逃げ惑う。風景のすべてが嵐に巻き込まれ翻弄されるが、それは演奏時間にしてほんの数分にすぎない。 再び世界は安定と平穏を取り戻し、嵐の後の牧歌が混乱を癒して流れる。(第五楽章) けれど美和は知っている。たった数分間の嵐が世界を一変させたことを。 嵐の後の世界は一見平穏に見えて、虚無が支配していた。 すなわち、彼女の大切な息子がいなくなったのだ。 だから美和は、この「雷雨、嵐」が始まると決まって音量を下げる。嵐の存在を打ち消すように。 曲が終わると美和は立ち上がって、ガラス扉越しにベランダの外を眺めた。すでに入道雲は脅威を感じるレベルにまで発達し、街に嵐の警告を与えていた。 これを見て、さっき隣の奥さんが急いで洗濯物を取り込んでいたのだろうと美和は納得し、ベランダに干してあるあまり多くない洗濯物を回収した。 部屋に戻ると、彼女は忌まわしい入道雲をシャットアウトするようにカーテンを閉めた。 入道雲を見ると、悲劇の記憶が彼女に襲い掛かってくる。だから、夕立を降らせる入道雲が現れる夏の午後には極力外出しないし、窓からも見えないようにする。 そして壁に貼った大きな風景のポスターに視線を集中する。 それはどこか西欧の田園風景で、画面の半分近くを空が占めていた。青い空に小さな白い雲が平和の象徴のように浮かんでいる。 前面は草原が広がり、羊たちが無心に草を食んでいる。この平和な風景が時間を止めてでも、永久に嵐に襲われなければいいと、美和は思った。 しかし草原の向こうの遠景に、黒々とした岩山が平和を乱す存在のように聳えていた。遠くなのでその大きさは判別できないが、美和の頭にはゼウスの住むオリュンポスの山という想念が浮かんだ。 ゼウス……ギリシア神話の主神にして、天空神。 その武器である雷霆は、世界を破壊できるほど強力だ。 あの子が……亮が、入道雲の上から見ている大男はゼウスだと言った。 美和は小仏壇の前に行き、そこに飾られた写真に向かって血管が青々と浮いた細い手を合わせた。 写真には、輝く茶色の髪のエキゾチックで端正な顔立ちの少年が映っていた。
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