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4,PTA総会
芳江は、手にしたハンカチで額からにじみ出る汗を拭いた。
梅雨明け直後の太陽は、まるで温存していたエネルギーを一気に放出するかのように強烈だった。空にはもくもくした夏雲が浮かんでいたが、それがここにきて何か企みを抱いたのか密集し始めていた。
後で夕立になりそうねと、芳江は心の中で呟いた。とりあえず、晴雨兼用の日傘があるからなんとかなるだろう。
今日は亜矢の通う小学校の夏休み前のPTA総会が、午後3時から開催される。亜矢は午前授業で帰宅し、家で昼食をとった。その後、友達の家に遊びに行くと言って、芳江より先に出かけて行った。
会場の体育館は一応冷房しているものの、折からの暑さと湿気に人いきれが加わって、蒸し風呂のようだった。扇子で仰いでいる人も結構いたが、昨今流行りの携帯扇風機を使用している人が目立ち、芳江は扇子をパタパタさせながら、今度携帯扇風機を買おうと心に決めた。
パイプ椅子に座って会場内をそれとなく見渡していた芳江は、斜め前方に全身黒い服の女性を見かけて、もしやと、扇子を動かす手を止めた。
喪服にしか見えない黒い服を着たその女性は、後姿からだけでもその際立った細さ故に、マンションの隣室の奥さんだと確信できた。
それに場違いな感のある喪服姿から漂う陰鬱な雰囲気は、離れた場所にいても伝わってきた。
しかし、隣人夫婦に小学生の子供はいないはず。親戚の子でもいるのだろうか。
引っ越してきて2か月あまり、親戚らしき人物が訪れた様子はない。では、なぜここにいるのか……。
芳江の背筋に沁み出た汗は、謎に漉されて冷や汗に変わった。
隣人の姿に心を奪われていた芳江は、突然「若宮さん」と呼びかけられて飛び上がるほど驚いた。
見ると、亜矢と同じクラスで仲良しの礼奈の母親である水島かおるが、笑みを浮かべて立っていた。水島は礼奈の上に2人男の子がいて、芳江より10くらい年齢が上だった。そのせいもあって、芳江は水島を頼りになる先輩と見做していた。
水島はPTAの役員をしていて何かと忙しく動き回っているらしく、その顔には汗が浮かんでいた。
「元気?」
と水島は快活な声で尋ねた。
「はい、元気です。そうそう、今日うちの子がお宅に伺っているんです。どうもすみません」
「全然平気。遊びに来てもらって大歓迎!」
忙しそうな水島と今ここで長話をするわけにはいかないと、芳江は自分の頭の中を占めている疑問を単刀直入に水島に投げかけてみた。
「あそこに座っている黒い服装の女性、水島さん、もしかして知ってます? あの、うちのマンションの隣室の人なんだけど、お子さんいないはずなので変に思って……」
急に尋ねられて水島の顔から一瞬笑みが消えて不可解な表情になったが、相談事に慣れている彼女は黒服の女性の顔が見える位置まで前に移動して、すぐに戻ってきた。
「あの人、多分芝坂さんじゃないかな」
「そう、その苗字で合ってます!」
「うちの上のお兄ちゃん、今大学生なんだけど、その子と芝坂さんの息子さんがこの小学校の同級生でね、家に遊びに来たこともあるの。お母さんがきれいな人で、息子さん、亮君だったか、も美少年だったので、印象に残ってるの。何かやつれてしまわれたようだけど、亮君にあんな事があったしねえ」
「あんな事!?」
芳江は身を固くした。
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