永遠に語り継がれる物語3

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永遠に語り継がれる物語3

 大ぶりの焼き栗がゴロゴロ入った紙袋を抱えて、私とにゃあさんは途方に暮れた。 「ちょっと! いつまで待たせるつもり!? 早くしないと夜までに棲み家に帰れない!」 「待てよ。俺の方が先に注文したはずだ。どうして後回しにするんだ!」 「うわあああん! ママァ! 飽きたよお……!」  幽世の薬屋の店頭はまるで戦場だ。薬を買い求めるあやかしで長い行列ができている。 店の中を覗くと、ナナシと水明がてんてこ舞いしていた。 「こんなに混雑しているの、初めて見たかも」 「あたしもよ。なにがあったわけ?」  にゃあさんとふたりで首を傾げる。すると、水明と客の会話が聞こえてきた。 「アンタが元祓い屋かい。聞いたよ。アンタの薬、めっぽう効くらしいじゃないか」  真っ白な髪をした砂かけばばあは、口もとに手を添えて水明に囁くように訊ねた。 「噂は本当なのかい? あやかしの殺し方を熟知してるから、よく効く薬を作れるって」  途端、水明がげんなりした顔になった。 「知らん。俺はナナシに教わったとおりに調合しているだけだ。効果は変わらな……」 「アッハッハ! そうだよねえ! こんなところで本当のこと言えるわけないわよね!」  渋い顔をしている水明をよそに、砂かけばばあはひとり盛り上がっている。 「今度、こっそり秘訣を教えておくれ。ヒッヒッヒ。あ、冷え性の薬をおくれよ」 「はあ……」  やたら混み合っているのは、水明目当ての客が殺到しているからのようだ。 「……大変そうだね。後にしようか?」 「そうね。勝手に家に上がり込むわけにもいかないし」  薬屋を離れた。道を歩きながらにゃあさんはプリプリ怒っている。 「せっかくの焼き栗が冷めちゃうじゃない! 客ぐらいさっさとなんとかしなさいよ。手際が悪いわねえ!」 「あ、あはは……」  まあ、繁忙期と知りつつ訪ねた私たちも悪いんだけど……。  ――当てが外れちゃったなあ。  ナナシの優しさに包まれたかった。水明の顔を見てホッとしたかった。こればかりはしょうがないと思っていても、どんよりと心が曇っていくのがわかる。  ふと、ある人物の顔を思い出した。チリリと焼けつくような感情が胸に去来する。思わず手に力をこめてしまって、焼き栗入りの紙袋がくしゃりと悲鳴を上げた。  ――あの人なら。こんな時、どうするんだろう……。 「……夏織?」  怪訝そうな顔をしたにゃあさんに、慌てて笑みを取り繕った。 「ごめん、ごめん。あのさ、私行きたい場所があるんだ」  私の提案に、にゃあさんはパチパチと目を瞬く。 「話をしてみたい人がいるの。たぶん屋内じゃない。寒いかも。……いい?」  気弱に微笑んだ私に、にゃあさんは「どこへでも付き合うわ」と頷いてくれた。  ざあ、と風に乗った幻光蝶の群れが飛んでいく。蝶が作り出す光の帯に照らされて、水中の座敷牢が妖しく浮かび上がった。橋の上から水中を覗きこめば、真っ赤な魚がゆらゆらと泳いでいるのが見える。ところどころに置かれた行灯が淡く水中を照らし出し、湖底に囚われた魂たちの棲み家を照らしていた。  ここは魂の休息所。 幽世の中でも異質な場所で、転生を拒む人間の魂が集められている。 「――文句でも言いに来たのかい? それとも復讐?」  欄干に寄りかかった女性は、不機嫌さを押し隠しもせずに言った。 「別に。そんなつもりはありませんよ」  笑顔で返す。しかし、その人物は「嘘をつくんじゃないよ」と渋い顔になった。  尼僧頭巾を被り、黒衣に紫色の絡子を首から下げている女性の正体は八百比丘尼だ。 ちょうど一年前。東雲さんを修復不可能なまで傷つけた張本人である。 「東雲が死ぬきっかけを作ったのは私だ。父親の本体を裂いて、あまつさえ火を着けた私を憎まないで、誰を憎むってんだい!」  煙管を突きつけられ、何度か目を瞬く。じわり、体の底から黒い感情が滲んできた。沸々と怒りがこみ上げてくる。激情に任せて口を開きかけ――やめた。八百比丘尼の左の袖が風になびいているのを目にしたからだ。 「もう報いは受けていると思っています。……左腕がない生活には慣れましたか」 「ハハッ! アンタがそれを聞くのかい。嫌味だねェ。いい根性してる」  すると、私の足もとに座っていたにゃあさんが威嚇音を上げた。 「なによ。さっきから失礼じゃない? ねえ、反対の腕も食べてあげましょうか? 不老不死なんだから構わないわよね?」  にゃあさんの言葉に八百比丘尼は顔色をなくした。幽世で初めての本を刊行するにあたって巻き起こった騒動の中で、かの尼僧の片腕を食べたのは他でもないにゃあさんだ。 「厄日だね。ああ、やだやだ」  大きくかぶりを振った八百比丘尼は、気まずそうに私を見つめた。 「それで。なんの用だい。復讐でも本の配達でもないなら、ここへ来る理由はないだろ」 「一緒に焼き栗を食べてくれる人を探していた……じゃ駄目ですかね?」  なんとなく言い出しづらくて言葉を濁せば、八百比丘尼があからさまに不機嫌になった。かつて人魚の肉を食べ、永遠の命を得た尼僧に冗談は通じないらしい。小さく深呼吸をして気持ちを奮い立たせる。 「……八百比丘尼は、父の余命が残り少ないことを誰から聞いたんですか」  すると、尼僧は最高に渋い顔になった。 「本人からだよ。ヘラヘラ笑いながら報告に来やがったのさ」  その時、東雲さんは八百比丘尼にこう言ったのだという。 『付喪神はいつか壊れるものだ。だから、気に病むことはねえ』  なんとも東雲さんらしい。同時に頭を抱えたくなった。 「壊した本人に伝えるなんてねェ。ひどい男だと思わないかい。気に病むなといいながら、でっかくて重たすぎる鎖を残していきやがった」 「た、確かに……。まあ、養父にそういう意図はなかったと思いますけど」 「それが頭にくるんだよ! 天然野郎ってのは本当に反吐が出る」  東雲さんは予想外のところで仕返しをしていたらしい……。面白く思っていれば、私の様子を見ていた八百比丘尼が口を開いた。 「言いたいことがあるならさっさとお言い。焦らすんじゃないよ」 「……はい」  いつも通りの厳しい言葉。相変わらずだなあと思う。  ゆっくり息を吸って、吐いた。おもむろに口を開く。 「どうすればいいか、なにもわからなくて」  情けない顔をしているのが自分でもわかった。唇が震えている。開きっぱなしの涙腺が新たな涙を放出し始めた。泣きすぎたせいか感情が凪いでいるのがわかる。だのに、頬を涙が濡らす感覚だけが生々しい。 「なにもかもが唐突過ぎて、ひとりで途方に暮れています。心の整理がつきません。死んだら嫌だと子どものように暴れていいものか、父の選択を穏やかに受け入れていいものかすらわからないんです」  涙で濡れた瞳でぼんやりと八百比丘尼を見つめた。 「私はどうすればいいと思いますか」  私の言葉に、八百比丘尼はチッと舌打ちを打った。 「どうして私に? ンなもん、ナナシあたりにでも聞けばいいじゃないか。アンタの親代わりだろう!」  眉を吊り上げた八百比丘尼に、小さくかぶりを振った。 「私、八百比丘尼の歯に衣着せない感じが好きなんです。ナナシはすごく頼りになるけど、時に私を甘やかしすぎるから。だからあなたの話を聞いてみたくて」  正直に理由を述べた私に、「好きってなんだい」と八百比丘尼は変な顔になった。袖から手ぬぐいを出して私に押しつける。 「……お人好しが過ぎるだろ。まったくもう、こっちが不安になっちまう」 「アハハ。確かにそうですね。でも今は、優しい慰めの言葉よりも厳しい正論がほしいんです。それに、八百比丘尼はたくさんの家族を見送ってきた人だから……」  手ぬぐいで涙を拭いながら私が言うと、八百比丘尼が渋面を浮かべた。  不老不死を得た八百比丘尼は、人間を愛さずにはいられなかった人だ。彼女は数え切れないほど多くの家族や恋人の最期を看取ってきた。私の身近にいる人の中では最も経験豊富で、人間に近い心を持っている。それが八百比丘尼という人だ。 「本当に馬鹿だね。アンタのそういうところが嫌いだよ」  十八歳ほどの若々しい姿をした八百比丘尼には、私には想像つかないほどの人生の積み重ねがある。彼女の言葉はもれなく重い。今の私に必要なのはそういう言葉だろう。  眉をひそめていた八百比丘尼は、ちらりと私を見た。  じっと彼女の言葉を待つ私に、大きくため息をつく。 「まさか、ご都合主義的な奇蹟を信じてるんじゃないだろうねェ?」 「……いいえ。私も大人になりました。大人に……なってしまいました」  無邪気に魔法や奇蹟を信じられたなら、まだ心に救いがあったかもしれないと思う。だけどそうはいかない。私は世界を知っている。今までの生で現実を思い知らされている。  私の腕の中で短い一生を終えた蝉のきょうだいを思い出す。  容赦なく襲い来る死は、誰にも止められない。 「――それならいいけどね」  八百比丘尼は瞳に哀愁を滲ませ、湖面を見つめたまま言った。 「生ってもんには種類がある」  指折り数えながら、八百比丘尼は続けた。 「満足して終える生。唐突になにもかも奪われて半端なまま終わる生。不満だらけで悔恨しかない生……どれが一番かは説明するまでもないだろ?」 「はい」 「人やあやかしが最も印象深く感じるのは死の間際だと思ってる。どんなに充実した生であっても、理不尽に死を迎えたら不満しか感じないだろうねェ。逆もしかりだ」 「つまり、最期の瞬間に満足していたら……」 「ソイツは、いい人生だったって思いながら死ねるだろうさ」 「じゃあ。私は――東雲さんが満足して最期を迎えられるようにするべきってことですか」  ぎしりと胸が軋んだ。東雲さんの死を受け入れろと言われているようだったからだ。  私の問いかけに、八百比丘尼は乾いた笑みを浮かべた。 「どうだろうねえ。これは生者のエゴだからね」 「エゴ……?」 「だってそうじゃないか。黄泉路へついていけるわけでなし、ソイツが満足したかなんて誰にもわからない。葬式だってそうだ。どんなに盛大に弔っても、どんなに大量の線香を焚いたって本人に届いているかなんてわからないだろ? すべては自己満足だ。結局は全部自分のため」 「……自分のため」  あまりにも厳しい言葉だ。結局はなにをしても意味がないのだろうか。 涙を浮かべて黙りこんでいれば、 「でもね。それでいいんだよ」  あまりにも意外な言葉に目を見開く。  八百比丘尼は天翔る幻光蝶を眺めながら話を続けた。 「死はふたりの歩む道を分かつものだ。死者は終着点に到着するが、生者はこれからも長い道を歩き続けなければならない。なら、死者の存在が足を引っ張らないようにするべきだ。心残りがあって後悔し続けるのは死者じゃない。生者だ。やりたいようにやればいい」  遠くを見つめる彼女の凪いだ瞳の中に、幻光蝶が作り出す光の帯が映っている。それはまるで彼女が延々と歩いてきた道を象徴しているようだった。 「東雲って野郎はね、アンタの父親になろうととんでもない苦労を重ねてきたんだと思うよ。でも、アンタは? 父親に甘えてばかりだったんじゃないか」  図星を刺されて息を呑む。  八百比丘尼は静かに私を見つめて、いつも通りに歯に衣着せないまま言った。 「今度はアンタが頑張る番だ。甘ったれたこと言ってんじゃないよ。こんなところで時間を浪費している場合かい。東雲が最期を迎えるその時まで、自分のためになにをしてやれるか……頭を振り絞って考えるんだね。アンタ、東雲の〝娘〟なんだろ?」
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