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家を抜け出した俺は、歩きながら気持ちを落ち着けるべく深呼吸した。緑と土の匂いが肺いっぱいに広がって、懐かしい気持ちになる。あの頃と比べてかなり荒廃してしまったこの村だが、それでも根本的な性質は変わらないと感じた。水遊びを楽しんだ小川の気持ちよさも、カブトムシをたくさん捕った雑木林の雄々しさも、何も変わらない、あのときのイメージのままだった。
21年前までは家族で毎年夏休みにこの村に遊びに来て、よくあの子と一緒に日が暮れるまで村周辺を駆けずり回ったっけ。白い帽子とワンピースを身にまとい、なめらかな亜麻色のロングヘアーをなびかせながらこちらに手を振る少女のいる情景が鮮烈に心に浮かび上がった。当時大好きだった童話に登場するヒロインの「モモちゃん」によく似た可愛い子。俺は彼女と遊ぶのがとても好きだった。
――そうだ、あの子。名前は……「ちーちゃん」って呼んでたっけ。ちーちゃんは元気かな。せっかくこの土地に来たのだからまたここで会えたら良かったけれど、廃村寸前という状況だしさすがにもうこの地を離れているだろう。俺と同じくらいの年に見えたから、俺と同じように都会に出て働いているのかも知れない。美しい思い出の一部の旧友を思い出して、無性に彼女に会いたくなった。彼女といつも待ち合わせをしていた小さな神社へ、自然と足が進む。
お目当ての神社は石で出来た鳥居が少し崩れているものの、高鬼の時によく登った(今考えるとかなり罰当たりだが)灯籠や「くじ付きアイスの当たりが出ますように」なんて子どもらしい願掛けをした祠はしっかりと建っていてあの頃のままだったのが嬉しかった。ちーちゃんはいつも祠の近くにある大きな岩に腰をかけていて、俺が目に入ると――。
「みっちゃん」
そう、こんな風に「みっちゃん」と俺を呼んで……えっ?
俺の背後にいるらしい誰かは確かにみっちゃんと言ったと思う。祖母や見知っているご近所さんの声ではない、落ち着いていて穏やかな、若さを感じるしなやかな男声だった。俺の幼少期のあだ名を知っていて、なおかつ今の俺をみっちゃんだと認識出来る人物とは、一体誰なのだろう。とまどいと期待が入り交じる気持ちで、そっと後ろを振り返った。
「……え?」
その人物は予想外で、でもよく知っている男性だった。
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