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四
「いや、ねえわ」
昨日の梅ヶ谷のアドバイスを思い出し、独りごちる。
ベンチに腰掛け、マフラーに顔を埋めて覗くは携帯の画面。寒さで貧乏揺すりが止まらない。日隠から昨晩の返事は返ってこず、未読なまま。俺の言葉使いが至らなかったのだろうか、親指で画面をスワイプして自身のメッセージを遡ってみる。
「……送りすぎだろ。そりゃあ怖がられる」
突然背後から話しかけられ、一瞬肩が縮みあがる。後ろを振り返り仰ぎ見ると、梅ヶ谷が俺を見下ろしていた。
「寒いのに、ベンチで一人飯かい。目立ってしょうがないぞ」
厚手の立ち襟のシャツにニットコートを羽織っている梅ヶ谷の首元は寒そうだ。
「うっせえ、友達待ってんだよ」
「何も、ここで待たなくてもいいのに」
白い息を吐きながら梅ヶ谷は座席に回ってきて俺の隣に腰を下ろす。
「だいたい君、すべての文章が偉そうなんだよ」
「は、どこが? 普通だろ」
「挨拶もそうだが、君は少し愛嬌を作ったほうがいいぞ」
呆れて俺へと指摘する。その残念そうに自分を見てくる瞳に俺はムキになる。
「クソジジイみたいなこと言うなよ。愛想なんてなくても人間生きてける」
「君が昔何を言われたのか興味はないけど。別に私はモテるテクニックを教えてるんじゃないよ。素直に受け取ってもいいと思うけどね」
「うぜぇ」
梅ヶ谷は堪忍したのか、諦めたのか、乾いた愛想笑いを吐いた。白い煙が彼女の口から忙しなく噴く。
「ただでさえ女みたいな顔なんだ、ヘラヘラしてっとなめられる」
「湿っぽい話になりそうなら、席を外そうか」
「こいつ……!」
「だって勘弁してよ。ただでさえ、連日別れ話で情念ぶつけられているんだからさ」
口元に手を遣り、一あくびすると、君の愚痴を聞いてやるほど暇じゃないの。と、そう言いながら口元に持っていた手で空を何度も払う。
「独りで勝手に生きてください。それで年取って困ってくださいよ」
「クズ野郎に言われたかねーんだよ」
「正確には女だけど」
梅ヶ谷はハハと愛想笑いを浮かべ、立ち上がろうと腰をあげるが、
「あ、……そうそう、君の幼馴染のことなんだけどね」
と、今さっき思い出したかのように、わざとらしく。再び座り直す。膝に肘を掛け、前のめりになって俺へ顔を向ける。
「彼女さんと同じ学科の友達に話してみたんだけど……」
「本当に友達か、そいつ」
「ハハ、ご想像にお任せするよ。……それで、話を聞くには彼女、十も歳が離れた男と付き合っているらしい」
俺は言葉を失った。唖然とし、が、あ、と息の吸い方を忘れてしまう。
「落ち着けよ」
目を剥いたままの俺に梅ヶ谷は飄々と言ってのける。
「だから君と会いたくないんだろうね」
「どういうことだよ! なんでそれが俺と会うのを嫌う理由になるんだ」
「まじか……、デリカシーがなさすぎるだろ君」
俺の言葉に梅ヶ谷の瞳は冷ややかに、気温と同じ温度になった。
「彼氏さんを悲しませたくないってことだろ。……あとは、束縛が激しくて会えなない。……とか?」
彼女の話を聞いて、俺は昨日電話で話した日隠の重たい声色を思い出し、胸騒ぎがした。
「束縛ってなんだよ! あいつ、暴力振るわれてるってことかよ」
ベンチから立ち上がり、梅ヶ谷の胸ぐらを掴んで詰め寄る。
「いや、ちょ、っと待ってくれない。暴力はやめないかな。……ちからつよい
な!」
「いいから答えろ!」
「例え話だよ! 例え話。気になるなら、会ってみればいいだろ」
俺は梅ヶ谷の胸ぐらを掴んでいた手を話し、ベンチから離れる。
「あ、そういえば会えないんだっけ。……て、ちょっと! 待ちなよ」
日隠のアパートへ向かおうと走っていた足を止め、彼女へと渋々振り返る。
「なんだよ」
「友達待たなくてもいいの?」
「ああ? 友達なんていねーよ」
ぶっきらぼうに返事をし、要件はそれだけかと俺は次の講義をサボって日隠のアパートへと走った。
これは余談だが、梅ヶ谷いったとおり、俺は愛想のなさで友達グループと喧嘩をし、いつも溜まり場にしていた学生ホールに行くのが気まずいためベンチにいたのだ。
走ったせいで顔が紅潮し、首元が汗で湿って気持ち悪い。階段を上がりながらマフラーを取る。
日隠の部屋の前に来れば、昨日同様ドアを何度もノックする。
「さっちゃん、いるんだろ? 話がしたいんだよ、開けてくれ」
暫く叩いていると、徐にドアが開いた。U字ロックで固定された隙間から日隠が訝しげに俺を覗いてくる。
「本当にやめて、近所迷惑でしょ」
彼女も昨日と同様、俺を覗き込む瞳は冷ややかで、声色は気怠い。
「こないでって言ったじゃん。もう」
拗ねたように刺々しい物言い。
「おまえ、彼氏いるだってな」
俺の言葉に彼女は目を見張り、眉間に皺を寄せる。
「誰から聞いたの?」
俺に尋ねる声色は、先ほどと違ってこちらの顔色を窺うような、ひどく怯えているようだった。
「そんなことどうでもいいんだよ! おまえ、そいつに暴力振るわれてるのか」
「……別に、振るわれてはいないけど」
俺から顔を背け、唇を尖らせる。何か言いたい事がある時に見せる彼女の癖だ。
「嘘つけ、なんで教えてくれなかったんだ」
「……みおちゃんには関係ないじゃん」
「関係あるだろ! 幼馴染みなんだから」
「みおちゃん……」
少しだけ、日隠の声色に明るさが戻った気がした。
「なんかあったら俺がお前を守ってやるよ。お前、昔っからドンクセェからな」
そう言い、場を和ませようと高らかに笑った途端、先ほどまで開けかけてい
た日隠の心のシャッターが、ピシャリとしまった気がした。瞳のハイライトがどんどん暗くなる。
「どうした」
「……みおちゃん」
「ん、なんだよ?」
「キモい」
そう言い残し、日隠はドアを閉める。
「は、なんだよそれ、おい、あけろ!」
「もう、別に守ってもらわなくていいよ! 帰って!」
ドア越しにくぐもって、彼女のはぶてた声が聞こえる。
「なんだよそれ……」
訳が分からず、俺は後頭を掻き毟った。
長い長い白い息を吐く。首元が冷えてきたので、俺は階段を降りながらマフラを巻いて家に帰った。
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