かげろう茶屋

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「ごめんなさい、奥にこもっていて気づくのが遅れてしまったわ。長くお待たせしてしまったかしら。声をかけてくださればよかったのに」  場にそぐわぬ、明るく朗らかな声。  店内に光が射したような感覚に、男は思わず身を震わせた。  現れたのは若い女だ。二十代半ばの男より、少しばかり下だろうか。 「さあさ、どうぞ座ってくださいな」 「いや、しかし、俺はこのとおり濡れて――」  言いかけて言葉を止める。  雨を吸い濡れていたはずの着物、雫を垂らしていたはずの裾と、水をたっぷりと含んでいたはずの草履。そのすべてが乾いている。 「ひどい雨ですが、降られる前に辿り着いてよかったです。遠慮せず、雨宿りしていってくださいね」  入口から外の様子を眺めていた女は、そう言い置いて奥へ消えると、盆に茶を乗せて戻ってきた。  縁台に盆が置かれ、男は自然、その隣に腰かける。大きめの湯呑にたっぷりと注がれている茶を、まずはひとくち。暑気が立ち込める中を歩き続けていた身体は、驚くほどに水分を欲していたようだ。乾いた喉を潤した茶はほどよく冷えており、続けて(あお)る。  ごくりと音が鳴るほどに飲み干すと、目前に立っていた女が小さな手を叩き合わせて拍手をした。 「いい飲みっぷりね。見ていて気持ちがいいわ」 「……すまん。もっと味わうべきだったよな」 「いやね。たいした茶じゃないわ――って、茶屋なんだから、そんなことを言っちゃいけないわね。うん、とっても高くて美味しいお茶よ。あなたは運がいいわ」  男が置いた湯呑を見ると奥に消え、戻ってきた折には大きな急須と皿を手にしていた。空になった湯呑に茶を注ぐ傍ら、男には皿を進める。  そこにあるのは、ごくごくありふれた団子と饅頭。なんとはなしに饅頭のほうに手を伸ばし、口へ含んでわずかに目を見張った。
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