第1話 山の村の赤子

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第1話 山の村の赤子

 春も間近、今年初めての南風が吹いた日。  空はどこまでも白く淀んで、暖かな風さえ旅人の心を沸き立たせはしなかった。  裾の擦り切れたマントを着て堅い杖をついた旅人は、薄汚れた雪の残る道を登って行く。  冬の間、うっそりとした森の中を貫いた細い道を通う者はいない。  春を間近にした今でも、耳に遠く聞こえるのは気の早い春鳥の羽ばたきだけ。  旅人は新芽の兆す梢の先を見上げて、雨か(みぞれ)が降らないようにと水の王に祈った。  この峠を越えれば目指す村まではもうすぐ。今日中にはたどり着けるはずだ。  そうすればこの厄介な荷物ともおさらば出来る。  旅人は抱えていた籠を覗き込む。その中には、小さな赤ん坊が継ぎだらけの布にくるまって静かに寝息を立てていた。  あんまり静かにしているので、旅人は時々赤ん坊が死んで居るのでは無いかと思った。  死んでいてくれたとて構わないのだ。  旅人が頼まれたのは、ただこの赤ん坊を遠く、遠く、彼の両親が知るはずもない土地の、知るはずのない誰かの元に捨ててくること。それも(わず)かばかりの養育費を添えて。
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