第2話 村の火

3/5
前へ
/480ページ
次へ
 村が近づいてくるにつれて一層赤みが増す。直にそれが炎の赤であるとレーキにも分かった。今は祭りの季節ではない。昼間聞いた嫌な噂が頭をよぎる。  レーキは一目散(いちもくさん)に駆け出した。  村が燃えている!  橇は打ち捨てた。身軽になった足が飛ぶように走る。  微かな眩暈(めまい)。足がもつれて何度も転びそうになる。  村の入り口に建てられた物見櫓(ものみやぐら)にも火がかけられていた。  市の立つ広場を駆け抜ける。  熱い。呼吸が速くなる。吸い込む度に煙と熱の混じったきな臭い味がする。  祭りの時と少しにている臭い。でも、人々の楽しそうな声は聞こえない。  広場には大勢の見知った顔が倒れていた。誰もかも皆血を流し(うつ)ろな目をして。  昼間広場でこちらを見て逃げていった村人が、周りの者と同じような目をして見上げていた。今度は逃げられないだろう。彼には片足がなかった。  立ち(すく)みそうになる。生きている人の気配はない。嗚咽(おえつ)がこみ上げる。泣き出したのは煙のせいばかりではない。  家まではもう少しかかる。泣きながらレーキは走った。  どうしていいか、何をするべきなのか。わからない。ただ走った。 「……ああっ!」  家はすっかり炎に包まれていた。辺りに養父と養母の姿はない。二人とも無事に逃げたのだろうか。家の中に捜しに入ろうかとも思った。戸口からは赤い炎の舌が(のぞ)いている。  だめだ……燃え上がる家を前にして、茫然(ぼうぜん)と立ちつくす。  こんな事になってしまえばいいと願った訳じゃない。ただ此処から逃げ出したかった。  自分を(ののし)る人々から、養父母の仕打ちから、ただ逃れたかっただけ。  ばちんっと燃え尽きて(もろ)くなった柱が()ぜる音がする。ごうごうと燃え盛る炎の熱がこの場所へ近づくなと警告する。なす術も無く後ずさった背に何かが当たって、レーキはそれを振り返った。 「……見つけたぞ」  見上げたその顔は、三軒先に住む大工だった。赤い炎に照らされて、恐怖と憎しみが入り混じったその顔には、血に飢えた者の狂気が爛々(らんらん)と宿っていた。レーキは息を飲んで、一歩身を引いた。 「見つけたぞぉぉぉぉ!!」  大工が不意に雄たけびを上げる。その声に弾かれるように、レーキは(きびす)を返して走り出す。振り返れば、一瞬遅れて手にした山刀を振り上げた大工の後ろから、叫びを聞きつけた生き残りの村人たちが、手に手に棒や農具を手に駆けつけている。 「見つけた! あいつだ! あいつだ!」  口から泡を飛ばして大工が叫ぶ。言葉にもならない呪詛(じゅそ)の声を上げて、村人たちは少年を追う。  その背に不吉を負った少年。慎ましく暮らす山里に盗賊という大きな災厄(さいやく)を運んだ少年。  それが本当に彼が成した事なのか、そんな事はどうでもよかった。やり場の無い怒りと憎しみにただ形を与えたいだけ。 「……はぁっ……あっ……はっ……!」  レーキは必死で逃げた。捕まればどうなるか。  今の村人たちには何を言っても通じない。どんなに言葉を尽くして自分のせいでは無いと訴えても、彼らは許してなどくれない。  怒り狂った養父と同じだ。彼にはよく解っていた。 「……っ!?」  何かが顔の横を過ぎって行った。大人の拳ほどもある(つぶて)だった。まともに当たっていたらと思うと、ぞっと背筋を冷たい物が撫でて行く。 「……げほっ……ひっ……!」  必死で走れば走るほど煙を吸い込んでしまう。  苦しくて苦しくて。とめどなく両の目から涙がこぼれる。 「……っ?!」  不意に、何かに足をとられた。瓦礫(がれき)だったのか死体だったのか。  レーキはそのまま道に倒れこんだ。立ち上がろうともがく間に追いついた大工の顔が、炎の赤い色を受けて少年を見下ろしていた。  大工は山刀(やまがたな)を振りかざした。  一撃でこの忌まわしい子供を(ほふ)ろうとした彼の顔は、一瞬喜びに(ひど)(ゆが)んだ。
/480ページ

最初のコメントを投稿しよう!

84人が本棚に入れています
本棚に追加