84人が本棚に入れています
本棚に追加
村が近づいてくるにつれて一層赤みが増す。直にそれが炎の赤であるとレーキにも分かった。今は祭りの季節ではない。昼間聞いた嫌な噂が頭をよぎる。
レーキは一目散に駆け出した。
村が燃えている!
橇は打ち捨てた。身軽になった足が飛ぶように走る。
微かな眩暈。足がもつれて何度も転びそうになる。
村の入り口に建てられた物見櫓にも火がかけられていた。
市の立つ広場を駆け抜ける。
熱い。呼吸が速くなる。吸い込む度に煙と熱の混じったきな臭い味がする。
祭りの時と少しにている臭い。でも、人々の楽しそうな声は聞こえない。
広場には大勢の見知った顔が倒れていた。誰もかも皆血を流し虚ろな目をして。
昼間広場でこちらを見て逃げていった村人が、周りの者と同じような目をして見上げていた。今度は逃げられないだろう。彼には片足がなかった。
立ち竦みそうになる。生きている人の気配はない。嗚咽がこみ上げる。泣き出したのは煙のせいばかりではない。
家まではもう少しかかる。泣きながらレーキは走った。
どうしていいか、何をするべきなのか。わからない。ただ走った。
「……ああっ!」
家はすっかり炎に包まれていた。辺りに養父と養母の姿はない。二人とも無事に逃げたのだろうか。家の中に捜しに入ろうかとも思った。戸口からは赤い炎の舌が覗いている。
だめだ……燃え上がる家を前にして、茫然と立ちつくす。
こんな事になってしまえばいいと願った訳じゃない。ただ此処から逃げ出したかった。
自分を罵る人々から、養父母の仕打ちから、ただ逃れたかっただけ。
ばちんっと燃え尽きて脆くなった柱が爆ぜる音がする。ごうごうと燃え盛る炎の熱がこの場所へ近づくなと警告する。なす術も無く後ずさった背に何かが当たって、レーキはそれを振り返った。
「……見つけたぞ」
見上げたその顔は、三軒先に住む大工だった。赤い炎に照らされて、恐怖と憎しみが入り混じったその顔には、血に飢えた者の狂気が爛々と宿っていた。レーキは息を飲んで、一歩身を引いた。
「見つけたぞぉぉぉぉ!!」
大工が不意に雄たけびを上げる。その声に弾かれるように、レーキは踵を返して走り出す。振り返れば、一瞬遅れて手にした山刀を振り上げた大工の後ろから、叫びを聞きつけた生き残りの村人たちが、手に手に棒や農具を手に駆けつけている。
「見つけた! あいつだ! あいつだ!」
口から泡を飛ばして大工が叫ぶ。言葉にもならない呪詛の声を上げて、村人たちは少年を追う。
その背に不吉を負った少年。慎ましく暮らす山里に盗賊という大きな災厄を運んだ少年。
それが本当に彼が成した事なのか、そんな事はどうでもよかった。やり場の無い怒りと憎しみにただ形を与えたいだけ。
「……はぁっ……あっ……はっ……!」
レーキは必死で逃げた。捕まればどうなるか。
今の村人たちには何を言っても通じない。どんなに言葉を尽くして自分のせいでは無いと訴えても、彼らは許してなどくれない。
怒り狂った養父と同じだ。彼にはよく解っていた。
「……っ!?」
何かが顔の横を過ぎって行った。大人の拳ほどもある礫だった。まともに当たっていたらと思うと、ぞっと背筋を冷たい物が撫でて行く。
「……げほっ……ひっ……!」
必死で走れば走るほど煙を吸い込んでしまう。
苦しくて苦しくて。とめどなく両の目から涙がこぼれる。
「……っ?!」
不意に、何かに足をとられた。瓦礫だったのか死体だったのか。
レーキはそのまま道に倒れこんだ。立ち上がろうともがく間に追いついた大工の顔が、炎の赤い色を受けて少年を見下ろしていた。
大工は山刀を振りかざした。
一撃でこの忌まわしい子供を屠ろうとした彼の顔は、一瞬喜びに酷く歪んだ。
最初のコメントを投稿しよう!