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草地の中の細道へと駆け抜けて行こうとすると、ヒューがハッとしたように言った。
「あっ、お嬢さん! 駆けては駄目ですよ。その馬は脚が右の前脚を少し痛めているようだから決して無理はさせないで下さい……」
私はろくに、ヒューの声を聞いていなかった。叔母にはばれないように裏の通用門からでて行ったのだった。
島の夕焼けはとても綺麗だ。昔は、よくヒューと二人で夕焼けを見ていた。浜辺が二人の遊び場だった。
東部の海岸線沿いに、うちの畑が広がっている。つまり、この辺り一体が私有地なのだ。私は、海からの風を頬に受けながら愛馬をけしかけて自宅から遠さかっていく。
右手に従業員の宿舎の脇に大きな精糖工場が見える。そう、あれは、ラム酒の製造工場。七年前に私の父と叔父が共同で設立した。販路を開拓した商売上手の叔父のおかげで、うちのラム酒はよく売れている。
この島が好きだ。このまま、ここで暮らしたい。
ただし、ずっと独身だと変人扱いをされてしまう。
今でも、浮いているのに、ますます、妙な娘だと思われてしまう。そうなると、父は悲しむかもしれない。
私の父は農園の経営に全身全霊をかけた。鼠の被害、モンスーン、鳥獣の被害、色んな事を潜り抜けて守ってきたのだ。血分、父は紳士の仲間入りしようともがいていたのだと思う。父は、自宅に様々な紳士を招いており、彼等との交流によって洗練されていった。
煙草の吸い方、お酒の飲みながらの話題、休日の過ごし方。ふとした時の言葉の言い回し。そういったものを上流階級へと寄せていったのだ。
作法というものを身につけたなら労働者階級の田舎者と笑われずに済むと思ったのね。
父は、娘である私の将来を色々と案じていたようである。
私が九歳の時、父の知人の大佐が葉巻をくゆらせながら父に忠言した。
『お宅のお嬢さんは野生児のようになっておるようですな。私の娘も辺鄙な小島で育っておりましてな、十歳の時に王都に戻ったが苦労したのだよ。初めて汽笛を聞いた時はビックリして泣き出したのだ。リプトン君、早く手を打つべきだ。アルスラは階級社会だ。マナーを知らないと社交界からはじき出されてしまうぞ』
その言葉を深く受けとめた父が家庭教師を雇った。灰色の地味なドレスのオールドミスの女性が島にやって来た。彼女こそが、ミス・ケイシーだ。
『お任せ下さい。お嬢様をどこに出しても恥ずかしくないようにいたします』
こに来る前の彼女は、アルスラの男爵家の令嬢の家庭教師をしていたという。その令嬢が大人になったので、今度は、九歳の私を調教しに来たという訳だ。
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