第八章 アイリスの家出

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 もうすぐ日が落ちる。徒歩で屋敷に戻るのは危険だ。私は、カンテラを持っていない。暗くて迷子になるかもしれないし、夜道で追い剥ぎと遭遇することもあるだろう。  ここに残ろう。甘藷畑の向こうに古びた平屋が見える。作業監督が休憩に使う小屋だ。そこまで馬を連れて歩いた。ここには用水路もある。  馬の背を優しく撫でながら木の枝に繋ぐ。私は小屋の土間を見回していく。古い椅子があったので、埃をハンカチで拭ってから、そこに座った。  作業監督官が湯を沸かしてコーヒーを飲んでいるのだろう。木彫りのマグカップがある。退屈なので椅子に腰掛けて古い新聞を手に取ってみたのだが、細かい埃が舞い上がり、コホンとむせた。埃を払ってから広げて広告を読んでみる。  王都のカフェではコーヒーにオレンジリキュールとブランデーと生クリームを入れることが流行っているようだ。でも、これは二年前の新聞だ。流行は移り変わっていく。はてさて、今は何が流行っているのだろう。  めまぐるしい。流行のドレスの形も色も次々と変わっていく。うっかりしていると置いてきぼりになる。  新聞や雑誌を見る度に茫漠とした不安に呑み込まれそうになる。  周りの人達は、色々な人と出会い新しい体験をしながら大人になっていく。  少しは外の世界に出た方がいいと分かっている。拗ねている場合じゃない。エミリーのことで叔母と言い争った時は混乱した。でも、エミリーが働くという選択肢もあるのだ……。  そうよ。女性が働く事は卑しいことではない。  新聞をめくると、女性向けの求人広告が掲載されていた。タイピスト、秘書、事務員、デパートの店員、化粧品の訪問販売員。思ったよりも、色々な職種があるようだ。  もちろん、侍女やメイドといった昔ながらの職種も募集されている。  島全体が夕焼けに染まる。  私はハタと気付いた。エミリー自身が頑張るしかないのかしら。  そうね。きっと、それが一番いいことなのだ。ふっと、心の底で濁っていた何かが消え去ろうとしている。  私は、多分、甘ったれていて世間を知らない。  こんな自分が情けない。  いつのまにか周辺はトップリと暗くなっていた。椅子に座ったまま、うとうとしていたらしい。  いきなりだった。唐突に小屋の戸が開いたのだ。ガンッという乱暴な音で目覚めた。ピクッと顎をあげる。     膝をかかえたまま眠っていた私は薄い闇の中で目を凝らす。カンテラの光が戸口から差し込んでいる。軍服姿の男の人が強引にこちらに踏み込んでくる。 「アイリス!」  ハァハァ。ひどく切羽詰った表情を浮かべている。肩で息をしたまま立っている若者はユリウスだった。
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