おやぶん 1

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おやぶん 1

 僕らが通学に使っている路線上には、僕らの高校の他にふたつの高校がある。ひとつは偏差値と学費が全国屈指の高さを誇る名門私立高校で、噂によると校長先生は語尾に「ざます」を付けて喋り、風紀委員などという萌え系アニメの中にしか存在しない、というかできないような委員会があるとのことだ。特徴的なブルーに白いラインが入った詰襟が異彩を放つ、そんな名門校の生徒と付き合えばステータスにもなる。しかし、その高校は男子校で、しかも生徒は揃いも揃ってレトロ極まりない、昭和の匂いしかしてこないような、僕らとは全く無関係の高校だ。一度彼らのケータイの着信音が、「万博音頭」だったのを聞いたことがある。実に、昭和だ。  もうひとつは共学なのだが、男子と女子というよりオスとメスで、高校というより何かの飼育施設のようだった。この高校の生徒と駅で出くわすと大抵は奇妙な咆哮をあげている。電車のつり革はぶら下がる為にあると信じて疑わないから、ずらりと並んでぶら下がっている。そのうち何人かは懸垂をしており、どうやら十回達成するとハイタッチをする習慣であるらしい。噂によると偏差値がアフリカ某部族の平均視力と同じ数値、大学進学率は水のカロリー数程度、退学率は脅威の四十パーセントを超え、主な就職先、というか引き取り先はなんらかの研究所、職場の先輩はチンパンジーだということだ。  そんな高校に、僕らの友人が通っている。「金田サーキットとパンツ事件」で活躍した、おやぶんこと林田彩である。  三日に一回くらいの頻度で電車の中でおやぶんを見かけるのだけれど、周囲を取り巻く友達、というか舎弟たちが怖くて声をかけられない。昔から背が高かったが、今でも一番背が高いし、なによりガタイがいい。イカつい舎弟たちも、自然な流れで取り巻いてしまったのだろう。  しかし、その日はおやぶんがその輪から離れて僕に近付いてきた。  「久しぶりやな、村田。まあ、結構見かけるけどな。せやけどあんた、会っても無視するし」  無視しているのではない。怖くて話しかけられないだけだ。  「まあ、うちも友達待たせてるから手短に言うけどな、電車降りたらちょっと付き合ってや」  「どっか行くん?」  「そないにビビリなや。久しぶりに友達と会ったし、お茶でもしよう思ってるだけやんか」  そう言うと僕の背中をバシバシと叩いた。スキンシップのつもりだろうが、痛い。背中にはくっきりと手形がついているに違いない。  それだけ言うと、おやぶんは輪の中に戻っていった。なにやらひそひそと話していた舎弟たちがここぞとばかりに僕を睨みつけてきたが、親分が彼らの頭をひっぱたくと、渋々ながら僕に向かって頭を下げた。やっぱり、おやぶんは高校に入っても親分なのだ。  電車を降りた僕らが向かったのは、カフェというよりも昭和の喫茶店といった風情で、現存していることが奇跡、というような店だ。日本家屋を改造した、というよりも、日本家屋にそのまま突っ込んだと表現したほうがしっくりする雑な作りが魅力的、なのだろう。たぶんそうだ。  ドアを開けると、カランコロンという懐かしい音が店内に響き渡り、カウンターに座っていたおばちゃんだかおっちゃんだかが、アニメでしか聞いたことのないようなダミ声を出した。  「おお、彩ちゃんやないか。なんや、可愛い男の子連れてからに。デートか?え、デートか?」  「何言うてるねんおばちゃん。そんなんやあらへんよ」  どうやらおばちゃんらしい。  「そうかそうか。せやったら、おばちゃんがアタックしてもええんかいな。可愛いしな」  今にも「グヘヘ」とよだれを垂らしそうな勢いで下品に笑うと、おやぶんもそれには取り合わず「コーヒーふたつ」と注文した。  「なんや、悪いな。変なおばちゃんで。せやけど、あれでええとこもぎょうさんあるねん」  高校生のセリフではない。しかし、そんな僕の気持ちにはお構いなしに、顎をしゃくって僕に座れと命令した。  「どないや、高校生活は」  「まあ、楽しくやってるよ。林田も、楽しそうやないか。ぎょうさん引き連れて」  面と向かっておやぶんと呼んではいけない。呼んだ人間はいないから本当に呼んではいけないのかどうかは知らないが、呼んではいけない気がする。  「ボチボチやっとるよ」  きっと社会人とやらになったらたくさんするであろう言葉のやり取りを、さも慣れているといった感じでこなすおやぶんなのである。  「にしても凄いな、そっちの学校は」  「動物園みたいやろ?」  「いつ見ても騒がしい」  「居心地は悪ないで。アホばっかりやけどな」  「お似合いやったぞ」  おやぶんに軽口を叩ける男子はそう多くはない。多くの男子はおやぶんに対して一目置いているので、普通に話しかけはするが軽口は叩かない。
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