おやぶん 2

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おやぶん 2

 「金田サーキットとパンツ事件」があったにも関わらず、なぜ僕らはおやぶんに軽口を叩ける仲なのか。それは中学の修学旅行で起こったある出来事がきっかけだった。  僕らが通っていた中学校は、遠足や課外授業など、学校の外へ出る機会があるととにかく山へ登りたがる校風で、僕らはそれを”遠征”と呼んでいた。三年生になった時点で薄々感づいてはいたのだけれど、やっぱり修学旅行も山登りだった。自然な流れで修学旅行を”大遠征”と呼んだ。  旅行内容もまさに遠征だった。旅行二日目、他の中学の生徒たちが、修学旅行の名の下に東京ディズニーランドや札幌小樽の旅、石垣島リゾートを満喫しているころ、僕らはバスで山の中腹まで連れて行かれ、そこで学年主任の増田先生が恐ろしいことを言った。  「全班班長、地図持ったか?!この山越えたところにホテルがあるから、各班山を越えて、そこで集合!集合時間は午後六時半!遅刻厳禁!遅れたもんは飯抜きや!分かったか!」  度肝を抜かれた。驚くほど冗談の通じない増田先生のことだから、本気で言っているのだろう。ここから何を修学すればいいのか。サバイバル術か、社会の理不尽か。驚くポイントが多すぎてどこから驚けばいいのか分からないが、とにかくこれは修学旅行という名の大遠征なのだと言い聞かせ、何とか自分を保った。  一緒に行動していた真木、西田、岡本と僕の四人は当然のように迷い、その結果として当然のように間に合わなかった。しかし、驚いたことに間に合わなかったのは僕ら四人だけで、ほとんどの班は五時には到着し、風呂に入り土産を買い、修学旅行の夕方を満喫していた。僕らが到着したのは午後八時頃で、その頃には夕食も終わっていた。  増田先生が言っていた「晩飯抜き」はボケではなく、ましてやツッコミを受け付ける訳もなく、僕らは本当に夕食にありつけなかった。一日登山した後に腹をグーグーと鳴らしながら寝室に入ることになったのだ。抜かれた度肝ももちろん返してもらえなかった。  修学旅行の醍醐味といえば夜である。大したことをするわけではない。枕投げをしたりアホな話をしたりするだけで、つまりはクラスの友達と同じ部屋で寝るだけなのだが、世の大人たちは一生忘れられない夜だという。一日目は国会議事堂 見学、二日目は登山、三日目は日光東照宮の近くにある寺見学で四日目の朝にはバスに乗って帰宅するというスケジュールの中、盛り上がれるのは夜だけだから一層忘れられない夜になることだろう。  先生たちも、そんな状況の中、夜に大人しくしている生徒がいることなど期待していないだろう。就寝時間になってきちんと寝る生徒など未確認生命体、魑魅魍魎の類だということは百も承知のはずだろうし、眠りにつく生徒などいないと思っているに違いない。そしてもちろんいない。  耳をすますと廊下から気配がするので、先生たちが見回りしているのだろう。枕投げをするにしても、心から騒げないのだから職務に忠実な教師とは迷惑な生き物である。  夜十一時半。寝転んで漫画を読んでいた西田が突然立ち上がった。  「よっしゃ、ほな、そろそろ行こか」  「どこに?」  僕が聞くと、西田は不適な笑みを浮かべた。  「真木は分かってるやろ?」  「当たり前や」  そう言うと真木も立ち上がった。僕と岡本は依然訳が分からない。事態を飲み込めない僕と岡本を交互に見ながら、真木が口を開いた。  「ええか、村田、岡本。他の中学の連中は修学旅行いうたら北海道や長崎や沖縄や、私立中学なんぞオーストラリアやアメリカやいうて遊び呆けとる。俺らと同じ東京でも、相場は東京ディズニーランドや。憧れの話でもなんでもなく、これが普通の話や。せやけど見てみい、俺らは東京まで来て山登ったあげく晩飯抜きや。そんなもん暴力以外の何ものでもないで。力のない俺らやけどや村田、それでも暴力には立ち向かわなあかん」  「つまり、や」  西田が話を受け継いだ。  「俺らは今からキッチンに行って、晩飯を頂戴しよういうわけや」  「いってらっしゃい」と岡本がのんきに手を振る。  「岡本もや」  「僕も?」  「当たり前や。こういうのは全員でやるもんや」  「でも、そんなんして大丈夫なん?見つかったら絶対やばいで」  不安そうにふたりを見つめる岡本に、西田が「見つかったら、やろ?」と笑う。  「大丈夫や。俺らは体制の暴力に立ちむかうんや。多少の犠牲は勲章や」  西田の勇ましい言葉に、僕は跳ね起きた。僕だって熱い心の持ち主なのだ。しかし、岡本はまだ不安でいっぱいのようだ。  「絶対やめたほうがええって。ほら、寝て明日んなったら朝ご飯出てくるんやし」  岡本がなだめるが、真木参謀長と西田特攻隊長がやる気になれば、もう誰にも止められない。  「一番大事なのは腹を満たすことやない。それは結果論であって、あくまで二次的要素でしかない。今大事なんは何か。それは体制の暴力に抗うということや。今回これがまかり通ってみ?今後も 俺らと同じ目に遭う後輩がぎょうさん出てくる。中学校で一回しかない修学旅行の思い出がそれいうのは、負の遺産や。絶対残したらあかん。これは俺らだけの問題やない。これから育つ、全ての後輩の為でもあるんや。俺らはその負の遺産を後世に残さへん為にも、礎になるんや。そら腹も減ってるけどや岡本、先生に見つかったら見つかったで、この理不尽を世に訴えていこうやないか。腹やなくて心を満たそうということや」
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