おやぶん 3

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おやぶん 3

 中学アホ男子の心をくすぐるのがうまい真木である。この演説で、岡本も勢いよく立ち上がった。  キッチンの場所はすでに西田が確認済みらしい。真木がお土産を探すふりをしながら最短ルートもチェック済み、問題は見張りの教師たちだけである。最もやっかいな敵はまじめ一徹全力教師、我らが担任、くぼっちこと久保先生だ。他の先生なら見逃してくれそうなことでも、久保先生は全力で取り締まる。何に対しても全力の久保先生は、その分生徒や保護者からの信頼を得ているが、こういう時は強大な敵として立ちはだかる。  僕らは静かに円陣を組むと、そっとドアを開けて外の様子を伺った。テンションの上がった中学生たちが寝る時間ではないのだが、登山の影響か、笑い声が漏れてくることもなく、静まりかえっている。うっすらと光る非常灯のあかりが、僕らのゆく道を静かに照らしていた。  僕らは中腰になり、速やかに部屋を出ると、静かにドアを閉めた。この先、一瞬たりとも気が抜けない。そんな緊張感が心地よく僕の心を満たす。  中腰のまま階段に向かって進むと、前方から気配がする。間違いない。我らが敵、見回り先生である。夜の繁華街を見回る夜回り先生は子供たちの味方だが、修学旅行先のホテルの廊下を見回っている教師は敵以外の何でもない。慌てて物陰に隠れてそっと様子を伺うと、一番いて欲しくない教師、久保先生の姿が見えた。  足音が近付いてくる。僕らは息を潜めて久保先生が通り過ぎるのを待った。足音がだんだん大きくなる。こっちに近付いてくる。緊張感が僕の胸を締め付ける。  足音が止まったかと思うと、急に速度が速くなった。  見つかったか。  見つかるわけにはいかない。真木の言うとおり、これは体制の暴力に立ち向かう戦いなのだ。負の遺産を残さないため、これから育つ後輩たちの明るい未来のため、こんなところで戦いを終えるわけにはいかないのだ。  久保先生は早足のまま、僕らの横を通り過ぎた。ほんの二分程度の出来事だったと思うが、汗でびっしょりになった手を握り締めながら、僕らはそっと久保先生の様子を伺う。  「大丈夫や。罠を仕掛けてある。もうくぼっちは戻って来れん」  西田が額から汗を垂らしながら言った。  「何や、罠って」  「俺らの部屋からちょっと離れた場所に、チョコバー落としといた」  「何でや」  「チョコバー拾ったら食べるやろ?夢中になってる隙に、俺らは先に進める、っちゅうわけや」  「アホ、そんなんひっかかる人間がおるか。廊下にチョコバー落ちとったら誰か出て行きよったて疑うわ」  真木の言葉で僕らが久保先生に眼を向けると、眉間に皺を寄せながらあたりを見渡している。思いっきり怪しんでいる。  「ごっつ怪しんでるで」  西田は僕と目が合うと、ニヤリと笑った。  「俺、スリル一個増やしたな」  僕らは互いに突き出した拳と拳をぶつけ合い、この状況を祝福した。少し痛いが、友情という名の心地いい刺激が拳を突き抜けた。  久保先生は怪訝な表情を浮かべながら、チョコバーをポケットに入れるとそのまま歩き去った。  「あれ、食べよるで」  「食べるか」  「いやいや、真木。あれはチョコミントや。チョコとミントのコラボレーションには抗えん」  「めっちゃスーっとするやつやろ?」と、相変わらずのん気な岡本が口を出す。  「OLか。ってか、スーッとして目が冴えたらどうするねん」  真木の言葉を聞いて西田がまた僕を見た。さっき増やしたスリルは特上のスリルだと言わんばかりのいい顔だ。僕らはまた拳を打ち合わせた。  多少のトラブルはあったものの、西田の案内と忍者の動きでなんとかキッチンにたどり着いた。覗き込んでみると、当たり前だが真っ暗で何も見えない。  「冷蔵庫はあそこや」  西田が指差した先に目を凝らすと、うっすらとシルバーのにぶい輝きが見える。右上には温度を示していると思われる「4℃」という表示がある。業務用冷蔵庫に違いない。  真木の合図で、僕らはよじよじとほふく前進で冷蔵庫に近付いた。家にある冷蔵庫の三倍くらいある冷蔵庫が四つ並んでいる。さすがホテルである。  先頭の真木がほふく前進の体勢のまま小さく扉を開けて中を覗き込み、「おぉ」と息を漏らした。手で僕らに「お前らも覗け」と合図を送り、西田が同じように中を覗く。岡本が覗いてようやく僕が覗くと、なんとそこには皿に盛られてラップをかけられた肉が見える。その佇まいからして、僕らを待っていたのは間違いない。  真木がそっと立ち上がり、近くのコンロに火をつけると、西田が冷蔵庫を取り出して真木のもとへと持って行った。暗がりの中で十分暖まったフライパンに肉を乗せると、ジュッという心地のいい音が聞こえた。この音ほど人の食欲をそそる音があろうか。この音ほど歓喜を呼び起こす音があろうか。この音こそが、焼肉という文化の醍醐味である。ジュージューという肉が焼ける音と共に立ち上った香ばしい香りが僕らの鼻をくすぐる。僕ら四人は立ち上がり、サッカーのサポーターのように肩を組んで肉が焼ける音色に耳を傾け、その香りに胸を躍らせた。
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