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おやぶん 4
これが修学旅行だ。これが、青春だ。
僕の心の声は正しいに違いない。渋々ついてきた岡本も、今は喜びの表情を浮かべて肩を組み合っている。
友情。
この美しい響き言葉をかみ締めながら、僕らは青春の一瞬一瞬を生きている。僕らは今、ひとつだ。
香りが強くなってきた。食べられるようになるまであと一息。僕らは組んだ腕に力を込め、気持ちをひとつにして肉を見つめていたその時。
急に目の前が真っ白に染まり、視界が奪われた。しかし、それで心まで奪われるような僕らではない。いや、視界を奪われたからこそ、僕らは組んだ腕に一層力を込め、全員で体を左右に揺らし始めた。そして、目が慣れてきた僕らの視界に入ってきたのは、ホテルの従業員と、久保先生だった。
どうやら視界が白く覆われたのは電気が点いたかららしかった。それでも一応体は揺らし続けたが、久保先生は揺るぎない視線を僕らに送り続けていた。
もともと晩飯抜きの制裁に反対していた久保先生と、山登り後の晩飯を抜かれた哀れな生き物が四匹ほどいたことを把握していた従業員のおかげで大事に至ることは避けられたが、それでも僕らの行為は犯罪である。十数分前まで目の前で歓喜の歌を歌い、幸福の香りを放っていたあの肉にありつくことなく、僕らは食堂に連れて行かれた。
説教されるために食堂に着くと、すでに先客がいた。どうやらアホなことをやらかして連行されたのは僕らだけではないらしい。後ろ姿しか見えないが、その広く立派な肩幅から、僕は柔道部の藤崎かと思った。そういえば藤崎も金田一派だった。ということはボスの金田はうまいこと逃げおおせて藤崎だけが捕まったか。もちろん、藤崎は仲間を売るような男ではない。むしろネタを独り占めにできる幸運をかみしめているかもしれない。
僕が横に座ると、「なんや、あんたらも何かやらかしたんか」と声をかけられた。
「あんたもかて、林田もか」
なんとおやぶんだった。
「あんたらよりはまともなことやで」
「なんやそれ。俺らが何やったかも知らんで」
「知らんけど、うちの方がまともやろ、どう考えても」
「静かにせえ!どっちもどっちや!」
怒られた。
「なんや、チョコ落ちてるからおかしい思うて見回ったら案の定や。お前ら揃いも揃ってキッチン忍び込みよってからに、何考えとるんや」
それを聞いた真木が、おやぶんに言った。
「なんや、林田も晩飯食えんかったんか」
「いや、うちは食べた。抜かれた間抜けはあんたらだけや」
「ほんなら何で忍び込む必要あんねん」
「あんなん少なすぎるわ。晩飯に入らんわ!」
「”あんなん”言われたかてなあ。俺ら、その”あんなん”も見てないし」
「めっちゃ少なかった。この後メインでも出るんか思ったらそのまま終いや。食べ盛りの成長期ナメたらあかんでホンマ」
「静かにせえ言うてるやろ!」
また怒られた。
久保先生は晩飯抜きには反対していた人物だ。ひょっとしたらこちらの説得と態度次第では大したお咎めはほとんどないかもしれない。そう踏んだおやぶんと真木が小さな抵抗を試みた。
「でも久保先生。私らは成長期、育ち盛り真っ盛りの中学生ですよ。普段から部活やって体力を使って、その上修学旅行やのに山登って、いつも以上にお腹が空くのは当然のことなんです。そういう生徒たちにとって食事がどれほど大切なものか。中学校の教師をされている久保先生ならもちろんご存知でしょう。しかもそれが修学旅行でのご飯なら尚更です。そこにあの程度の量だけ出されても足りないと思うのは自然なことではないでしょうか」
僕の足を踏んづけ、貴様も続けと合図を送ってきた。足を踏まれたわけでもないのに合図を受け取った真木がおやぶんに続いた。
「僕らはその”あの程度の量”にもありつけていないんです。林田さんが言うように、僕らは成長期。先生にも同じ時期があったはずです。それならそれがどういうことか、久保先生やったら生徒の気持ちを理解してくれるはずです。それなのに夕食抜きというのは、もはや暴力といわざるを得ません。教育委員会は本当にこの決定に賛同してくれているのでしょうか」
久保先生が唸った。厳しいながらも根は優しい久保先生だから、本当は僕らに夕食を食べさせてあげたいのだ。しかし、そんなことで引く僕らではない。僕らが背負っているのは夕食ではなく、後輩たちの未来であり、学園生活における正義だからだ。ここは久保先生の優しさにとことんつけ込まさせてもらう。
「今は地方の学校で起こった問題でもすぐにネットニュースで流れるご時世です。そんな中、修学旅行で生徒だけ登山をさせて遭難させた挙句、その罰として晩飯まで抜いた。こんなことが発覚しては、これは大問題ですぞぉ?」
西田が悪い顔をした。
結局、おやぶんや真木の読みどおり、お咎めはなし。久保先生の立場もあるから、それなりの説教はされたが、それもどこか説教というより説法じみており、最終的には修学旅行とは何も関係ない、西田の学校生活にまで及んだ。こうして僕らは不起訴処分となりその晩のうちに釈放されることになった。
部屋に戻る途中、僕はおやぶんに聞いてみた。
「晩飯、何やったん?」
「焼肉」
「焼肉?アレ、やっぱり俺らの肉やったんやん!」
西田が叫ぶと、岡本も悔しそうに地団太を踏んだ。
「焼肉食べてまだ文句言うてるんかいな!贅沢な話やでホンマ」
「せやから少なかった言うてるやん」
「知らんわ、そんなん!食べただけええやないか!少ないと無いは全然違うで。俺らは何も食べとらん」
僕らは抗議の目をおやぶんに向けたが、そんなものにひるむおやぶんではない。逆に、鬼の一睨みで僕らを黙らせた。
「せやけど、こういうのもおもろいな。明日ももう一回やろうや。この調子やと、どうせ明日も少ないやろうしな」
反省など微塵もしていないおやぶんは楽しそうにしている。
「何言うてるねん。こんなんは一回やから思い出に残るし、おもろいんやないか」
真木が言うと、おやぶんは素直に「そういうもんかいな」と頷いた。
「ほな、女子はこっちやから」
そう言って階段を上っていくおやぶんの背中は、なんだか妙に凛々しかった。
よく分からないが、それ以来なぜか僕ら四人はおやぶんと仲良しだ。
余談だけれど、次の日金田に聞いてみたところによると、「いくら育ち盛りや言うてもあの量は多すぎたで。他の学校のまで回ってきたか思ったもん」とのことだった。話を盛れるだけ盛る金田のことだから話半分以下に聞くとしても、肉は決して少なくなかったようだ。やはり、おやぶんはこの頃から既に豪快だった。
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