1 一枝の恩

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 とんだことになったと思った周江であるが、一つ口にしなかったことがある。 ーお前のせいで村ごととんでもない目にあうかもしれねえ  言いたい言葉を飲み込んだ理由はいくつかある。  まずは、この貧しい身を気にかけてくれる人がいることが嬉しかった。  この、気にかけてくれた書生は良いことをしようと、お節介をしたに違いない。  その人のお節介でひどい目にあうのか、そうかという、人生に対する諦めである。  虐げられた者の思考とも言える。  そして最後だが、最も大きいのは、相手が術使いだということだ。 ーさっさと逃げねえとな  一人だけ逃げてもどうしようもあるまい。村ごと焼きかねない、そういう連中だ。  お礼の挨拶だけをして村に戻ろうとした周江を書生は引き止めた。 「私が口を挟んだためにそなたたちは苦難に遭おうとしている、そうだな」 「小難しいことを言う兄さんだが、まあ、その、苦難にだな、」  書生は頷いた。 「私が術が使えるのを体感したであろう」  まあ、そうだろうと思う。 「その、術で、俺たちを?」  書生は頷き、喉を少し掻いた。  それも、術だろうか。  周江は半ば嫌々ながらであったが書生を案内した。  書生は、楊碧(ヤン・ビー)と言う。用があって都からこの西都へやってきた。  背も低く、若く見えるが成人しているらしい。 「我ら南方人は君たち北方人よりも背が低いのである」  誇らしげに言うようなことでもないだろうに、誇らしげに楊碧は言ってのけた。  くりくりとした目に、すっと通った鼻。唇はぷるりとして女の子のようでもあるが、明るくなればなるほど、口元の青さが目立つ。少年ではない。  南方人が南方自慢をすると、北方人としては周江は多少面白くない。何しろ、父親は長安は攻城戦から帰ってこないのだ。死んだとしか思えないではないか。  北方人の南方人に対する不快感は、周江一人のものではない。何しろ、南方の王朝によって統一されたのである。  秦も、漢も、隋・唐も、北方の王朝による統一王朝であった。  北方の、長安を中心とした関中から、落葉を中心とする中原にかけてこそが我らの故地という自負がこのあたりの人にはある。  それが南方の王朝によって統一された。この古都は「西都」と呼ばれ、いくつかある副都の一つに陥ちたのである。  しかも、本朝は「夏」を名乗った。初めの王朝と同じ国名である。  そこまで周江が知った上であるかは別として、支配者たる南方人に対する北方人の反発は確実に存在する。 ーこの反発をどうするか  開封から長安に至るところで、それを楊碧は考えあぐねてきた。  この大夏帝国の国姓は「楊」、楊碧の「楊」である。 「三公子、お一人とは」  何度も諭されたが、自らの足で歩き、見なければわからぬことがあると楊碧は考えた。 「身を守る程度の術はある」  陰に陽に、厳しさと優しさを同居させる必要があるだろうと言うことは思った。  それをいかに具現化するのか。  目の前に現れたのが周江であった。  仮に目の前の少年はどのような者かは知らぬが、見知らぬ貧乏書生に枝を折って火に当たらせてくれるような少年である。その少年が荒くれ者に絡まれた。大の大人が子どもをいじめるのに周囲の連中は見て見ぬ振りをする。これは、この荒くれ者の背後に何かあると踏むべきである。孔子の言う通り、義を見て為さざるは勇なきなりである。それが第一であったが、第二には打算があった。  この少年には残酷な報復が待ち受けることは誰にでも推測できることである。報復はさせるが、少年を救う。これを陽とする。  そして報復者への厳罰、これを陰とする。    
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