1 一枝の恩

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 碑林村は、辛うじて自作農の村であった。  自作農とは言え、食うか食わぬかというような、貧村である。この貧しさゆえに、誰もここを我が物にしようとしなかった。  江南の、長江には魚が満ち、その豊かな水で米を作る地方で生まれ育った楊碧には、気候が厳しく水も足りない北方の村は、そもそもが貧しく見える。  それにしてもひどい。  本朝の国土には、すでに大木は少ない。戦火で木を育てることができず、また、建物は戦火に燃えたのである。石と、遠く東夷と蔑んだ島々からもたらされる大木を柱にすることによって、新都の建物は建設された。  下々は、枯れ草や藁を混ぜた土を練り夏の日にあてて乾かして硬い塊を作り、これを組みあげて家とすることもある。この村では、木の代わりに全て竹を使っている。 ー確かに、竹は木よりもはるかに育つのが早いが  碑林村の老人たちは、昼を過ぎて戻るはずの周江が、昼になる前に全く同じ荷物で帰ってきたことに頭を抱えた。 「また騙されたのかい」  老人たちは隣に立つ楊碧をじろじろと見た。 「誰だい、あんたは」 「この村の村長か、長老は誰だ」  なんて喋り方をするんだ、この南方人は。  ぷりぷりと怒りながらも、老婆が一人の老人を指差した。 「あれだよ。老林」  老林と呼ばれた男に、楊碧は玉佩を見せた。 「…なんだこりゃ」  楊碧はため息をついた。 「合歓の木の玉佩に何か気づかぬか」  老林は答えた。 「…合歓の木、ねえ。長安と言えば石榴だが、合歓の木は南方かい?」 ー話にならぬ。おおかた、この男も子どもを攻城戦で失ったか何かだろう。 「合歓親王こと、開封を預かる秦王が第三子、楊碧である。この長安の太守に命じられ、赴任した」  老林は鼻で笑った。 「太守だって。こんな髭も生え揃わなねえような小童を誰が太守にする。南方にはよっぽど人がいねえかな」 ー隠と陽、どちらも使わねばならぬ。  モジョモジョと呟きながら、楊碧は口に右手の人差し指をあてた。  老林は口を真一文字に結び、目をギョロつかせ、楊碧を指差した。  村人たちは跳びのき、何があったのか理解できないでいる。  楊碧はパンと老林の汚い指を左手ではたき、大げさに頭を振った。 「目上の人間を指をさすだなんて、北方人では時がたつにつれて、古代の礼儀作法というものは失われたようだな」  老林は鼻息荒く何かを訴えようとするのだが、声は喉からも出ない。 「それは縛口術である。言うことを聞くならば、解いてやる。聞かぬなら、永遠にそのまま。どうだ、聞くか」  老林は唸りもせず、なんども頷いた。  楊碧は右手の人差し指をふっと吹いた。 「あ、あんたは太守さまだ」  ようやく老林は答えた。  太守だと聞いて、周江は腰を抜かさんばかりだったが、ここでようやく、楊碧が自分に術をかけて、河の息子を叩きのめした話をした。 「…河大人の、息子…」  老林は目を白黒させた。 「報復されることは必須だな」  楊碧はこともなさげに言った。 「た、太守さま。どうかお助けを」  楊碧は頷き、策を授けた。  さっき術をかけられたばかりの老林は従うしかない。村人たちは、術を見たばかりなのである。どうしようもない。  ひゅうっと楊碧は指笛を吹いた。  ひいっと遠くから声が帰ってきて、小さな隼が村に降りてきた。隼が降りてくる間に、楊碧はすすっと書きつけた。隼の背中を撫で、楊碧は足に文をくくりつけて飛ばした。 「…」  飛ばす瞬間に、誰かの名前を言ったようだ。
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