2 新任太守

3/5
前へ
/13ページ
次へ
 楊碧が買収した碑林村を、独立村にすると、長安太守の別院を河良が襲ったという建前を失う。そこで、村には楊碧のために小さな山荘を建てさせ、これを管理することを条件に、租税以外の徴収を行わないことにした。つまり、名目上は荘園であるが、実質は独立村である。  十日に一度くらい、本当に楊碧は山荘を訪れ、静かに書を読み、竹林に出た鳥や兎を口にしたのである。  そこに庶民は拍手喝采した。  従わぬならば、粛清。従うなら実に緩い。  この原則は誰にでもわかりやすく、例外もなかった。  不満を持った者は、妓楼の主人をはじめ、たくさんいたが、全員が全員清い生活をしていたわけではない。河良一族とそれに関わった官吏たち、河善と親しくした大店の一人息子までがどうなったかを考えれば、声をひそめるしかなかった。  論理すらも山だかりの腕力に屈してしまう。  楊碧は、論理と流血を持って、腕力、すなわち民衆を味方につけた。  隠が河良一族への厳罰ならば、これが陽であった。  楊碧が河良一族への処罰の折子を開封と燕へ送ったのとほぼ入れ違いに、燕からは長安防衛隊の調動の許可が降りた。  元の防衛隊のうち、河良と関わりのあった者は全て罷免された。  まず、残りと楊碧が連れてきた護衛隊を合わせて編成し直し、多くを昇進もさせた。これが今上からの飴の第一である。  続いて、長安周辺の関中からの徴兵が許された。加えて、近隣の漢中と洛陽からも応援として小隊長格の軍人が来ることになっている。  現在の長安に、防衛は必須である。  四方を険しい山で囲まれていて守備に適する、長安は難攻不落の地である。隣接する咸陽に都があった頃から何度も落城しているのは事実だが、いずれも中から開城したのである。この都市の弱点は兵糧の一点である。  長安は西域から中原へ至る初めの都市であり、中原の初めの大要塞である。  楊碧は周江を案内人がわりに、長安の中と、長安の近郊を歩いた。  何しろ、長安という都市を楊碧以上によく知る人物が、敵には山のようにいる。  敵とは、まずは北東に追いやった女真族の完顔氏の金である。対遼作戦で宋と協力関係にあった金は、宋の皇帝が約束を守らないことに怒り、かつて開封の都を落とし、靖康の変で宋の皇帝を拉致していった。宋は長江流域まで落ち延び、杭州を臨時の都、臨安と呼んだが、その骨の髄まで腐敗した様子に、華南の民衆はあきれ返り、有志が立ち上がった。  建業を中心に勢力を拡大していったのが、楊碧の祖先の楊悠である。瞬く間に宋の皇帝から伝国璽を略奪した。禅譲ではなく、略奪という形をとったのは、ある意味、紹興の和議で約束した金への朝貢を断ち切る理由でもある。  金は故地に追いやられてもなお、この大夏を正式な国として認めない。  伝国璽を得たのち、本来「楚」か、「呉」かを国名にするところ、楊悠は「夏」を国名にした。まさしく、華夏の夏である。これは、「史記」に記される、中原最古の国名でもあった。  中原に起源を持つ彼らの民族名でもある。中原人、漢民族とも言うが、夏もまた、彼らの名乗る民族名であった。  おそらく後世には、「楊夏」とでも「後夏」とでも記されるであろう本朝のこの国名は、華南の地に満足せず、末代までかけても華北を奪還するという決意のあらわれであった。  長江の豊かな水に支えられた夏は豊かであった。草をよくはみ、馬も育った。 「駿馬一頭も、駄馬千頭に劣る」  楊悠のこの言葉が、この大夏帝国を象徴している。  この夏という国は、豊かな物量で相手を潰していくのである。  楊悠は隋唐の時代に作られた、南東と北西を結ぶ運河を開封に至るはるか手前で堰き止め、北部を兵糧攻めにしていった。  金は夏との長引く戦いに、国力を消耗し、分裂していくことになる。  さらに西域には、羌族が本朝と同様に「夏」を名乗る王朝を開き、遼や宋と争っていた。もちろん金とも争ってきた。事あるごとに西域から侵入してくる。その最前線こそ、この長安である。  金もまた、宋同様に内部分裂を起こし、その一つの、周を名乗ったいくつか目の王朝が京兆と呼ばれていたこの古都を長安という古名に戻した。  楊悠から五代目の楊景の時代になって、華北の奪還と、統一は果たされた。最後の一国こそ、この周である。  契丹や女真、羌の故地まで手を伸ばすような余裕はさすがの江南にもない。まだ長江からのかつての運河は再開通前である。これ以上は、兵站があまりに伸びすぎる。  賢き今上は、澶淵の盟で失った燕雲十六州を回復すると、それ以上は求めなかった。しかしながら、女真も羌も、豊かな国土を虎視眈々と伺う。  統一を果たし、南東の建業も、北西の長安も都に選ばず、できる限りどこからも近い場所として、開封を都に選んだ。  杭州から伸びる運河は、開封から再度江南に向けて伸ばす。  兵士には武器を捨て、鍬を持たせる。  運河によって田畑を潤わせる。  今、夏は防衛すると同時に、国づくりを始める時期にあった。        
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加