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身体に纏わりつく冷気。 衣服が水気を含み、髪はずっしりと重く、その場に身を任せている。 川縁に生えている芝生と土の、生きた臭いが、周囲に立ち込める死臭に混じっている事を感じとり、そこでやっと気がついた。 夕立だ。 土砂降りに振られ、両脚が鉄の格子から滑り落ちる。 尻餅をついた私は、ぐちゃぐちゃで泥のついたワンピースの裾野を見て、はっとした。 私たちは皆、死ぬために生きているのだと。 死んで、その先にも世界があるというのなら、 私は死んだ先の世界でも泣きたくない。 死んだら笑って、心に愛しか残らない。 誰かがそう言っていたが、それで極楽浄土へ行けるのならそうしたい。 そのためには、執着心を捨てなければならない。 では執着心を捨てるにはどうしたらいいのか。 一番簡単で難しいのは、それを捨てることだと思う。 お金に執着するなら、それを全て捨てる。 恋愛に執着するなら、恋愛を捨てる。 物質に関しては、捨ててもいいかもしれない。 しかし、人間に関することになると、そうもいかない。 物には全て、魂というのがある。 別にスピリチュアルな、胡散臭い占い師になったつもりではないが、人生において「魂が穢れた」あるいは「魂が磨かれた」と感じる場面は何度か訪れる。 例えば困っている人を助けた時、感謝されると胸がふわっと浮いたような心地がする。 それは魂が昇華した瞬間ではないだろうか。 逆に、物を盗んだりして悪さを働くと、胸に大きな鉛が張り付いたように、いつまでも重くのし掛かる気持ちになる。 それは魂が降格した瞬間ではないだろうか。 人として、誰かと関わる事一切を捨て去るということ。 それはつまり、己の魂の成長を止めてしまうということになるのではないだろうか。 なら、魂の成長が止まるとどうなるのか。 それはつまり、極楽浄土に行けず、永遠に未熟者としてこの世を彷徨う、ということになるのではないか。 そう考えると、簡単に捨てられるものでもないような気がする。
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