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私は雨で濡れた携帯を見た。 16:47。 不在着信1件。 彼からの連絡だった。 夕立が小雨になってきた。 橋の格子から川の向こうを見ると、川の水平線に沈む太陽が偶然、雲の隙間から顔を覗かせている。 川が夕日に照らされ、紅葉のように赤く染まった。 天から血染めの雨が降り注ぐ、首切り橋。 首を落とされた者の血は、川底へ洗い沈められる。 不吉で不気味な橋のはずなのに、どうして涙が出るのだろうか。 どうして綺麗だと思えるのだろうか。 何もかも分からない。 罪人達の悲哀、憎悪、諦念。 それら全てが川底にこびりついているはずのに、一寸の光が差し込んでくる。 ーー出来るだろうか。私に。 執着心を捨てた、その先の境地へ立つことは出来るだろうか。 今まで何度も捨てようとした。 しかしどうしても、自分の心だけは捨てられなかった。 人としての、正義感。 これはきっと、母方の先祖のスピリットを受け継いでるんだろう。 以前母方の祖父から、自分の先祖は明治維新の頃、警官のようなことをしていたと聞いた。 悪事を働く者達を懲らしめ、市民を救っていたのだと。 その祖父も、私の母も正義感が強い。 母が正しいと発言したことには重みがあり、誰もが納得し、それに従う力がある。 私も、微弱ながらその精神を受け継いでいる。 先祖のDNAは末代まで影響するらしい。 しかも精神的な思考の領域にまで。 己だけの思考だと思い込んでいたが、実際は先祖のDNAそのものによって、嬉しさや悲しみを感じ取っているのかもしれない。 そう考えると、私の執着心は、父方の祖父から受け継がれたのだろうか。 父方の祖父の先祖のことは知らないが、父方の祖父は執着心を最後まで持ち続けていた。 もうこの世にはいない祖父は、病院のベッドで死ぬ間際まで、人への恨みつらみを口にして死んだ。 首を切られた罪人達も、己の人生が終わる時、最後まで生に執着し、この世を呪い、足掻いたのだろうか。 それとも命の終わりを静かに見つめ、ただ達観していたのだろうか。 人間など千差万別。 しかし、それも生きて死ぬまでの、過程の話だ。 死ぬ時は全て等しい。 例え生物でなくとも、概念的な死というのは存在する。 この世のあらゆるものは皆、死ぬ。 だからこそ私は、執着心を捨てて人生を終わりたい。 最後は彼と、「色々あったが、共に人生を歩めて良かった」と、笑いたい。 愛だけを心に残して、私は死にたい。
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