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第七章〜あさこ
「光希が鳥の影と思ったのは、彼女の影だったということね?」
私の質問に、光希はうなずいて身震いした。
私は喉がカラカラだったので、ぐいっとコップの水を飲む。
「彼女は、見えないモノとかくれんぼしていたとしか思えないんだけどさ。実はここ数日、私もずっと声が聞こえるの。『かくれんぼしよう』っていう子どもの声が」
「やだ、光太郎くんでしょ?」
光希の息子の光太郎くんが言っているに違いない。
「光太郎じゃないの。不思議な声なの。子どもの高い声なんだけど、しゃがれて何十にも重なったような、不思議な不協和音みたいな。それに、ぼんやりとだけど、小さな子どもの影が見える時もあるの」
光希はそう言うと、両手で耳を塞いだ。
「ほらまた!」
コーヒーショップは、コロナの影響で席数は減らされ、店内はとても静かである。だが、平日昼間というのに満席であった。
「ちょっと、光希。他のお客さんに迷惑よ、静かに」
私の言葉に、光希は、は、となった様子で、うなだれて「ごめん」とつぶやく。
「光希、そろそろ光太郎くんの幼稚園、お迎えの時間じゃない? さ、帰ろうか。続きはまた近いうちに」
私は慰めるように言って、席を立った。私の息子は保育園に預けているが、光希はお受験で有名な幼稚園に預けているので、二時にはお迎えに行かなくてはならない。
私たちは同じようで全然違う。
私の夫は、光希のご主人のような超大手企業のエリートサラリーマンではない。
光希のように専業主婦でいて、子どもを私立の小学校に入学させるなんて無理だ。ときどき、無性に光希が羨ましくて妬ましくなる時がある。ときどき、そう、ごくたまにね。
光希は、私の呼びかけに無言で立ち上がった。その様子は打ちひしがれたようで、私は彼女が可哀想になった。
「家まで送るよ」
私はそう言って、光希と並んで歩き始めた。光希は、少し落ち着いたのか微笑んだ、途端。
「見ーつけた」
私たちの背後で、電子音のような子どもの高い声がする。
「えっ」
私は振り返る。
誰もいない。
光希がすがるように私の腕を掴んだ。
「アレが来たわ、ここまで来た」
「アレ? 何? 子ども? 見つけたって、どういうこと?」
「ごめんね、あさこ。あさこも聞いちゃったよね、声」
ウワーッと叫んだ光希が、私の腕から手を離して走り出した。
「ち、ちょっと! 光希」
慌てて私は後を追う。
光希は歩道から車道に飛び出してしまった。あっ! と思った時は遅かった。
ブレーキ音に続き、ものすごい衝突音がして、光希の体が鞠のように弾み、転がったのが見えた。
「救急車! 早く」
「誰かはねられた!」
怒声や、悲鳴が聞こえる。
その中に、ひときわ大きな子どもの声が響く。
「今度はお姉さんが鬼ねっ!」
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