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恵莉が中学一年の、八月のある日。
午前中は痛いほどの日差しがテニス部の恵莉の腕を焼き、午後の塾を終えてバスから降りたところで、日焼けした腕にぽつりと雨粒が当たった。まもなくばらばらっと雨が降り出し、住宅街に入るころには、傘はその存在意義を失った。
肩かけカバンは濡れ、ジーンズの裾も濡れ、スニーカーも濡れ、傘から流れ落ちる水は空海和尚の滝行レベル。
足早に家へと向かう途中、ふと視界の端に見えたものに、恵莉はさらに歩を速めた。
――あれは、見ちゃだめなやつだな。
けれど、世の中には児童虐待のニュースがあふれていた時だ。少し前に恵莉の母が披露していた近所のゴシップネタも耳の端に残っていた。
――遠藤さんとこ、旦那さん出て行ったんだって。そう。離婚。お婿さんだったらしいから、いろいろあったんじゃない。そう。まだ小学校三年生の男の子がいるのにねえ……。
恵莉は少し考えてから立ち止まり、スニーカーの中に溜まった雨水がぎゅも、ぎゅも、と変な音で鳴るのを感じながら、その場所へ戻った。
雑草の伸びた小さな庭に、色白のぽっちゃり男子が独り、海パン一丁で土砂降りに打たれ佇んでいる。
――海パン一丁のマシュマロマン、発見。
恵莉は門扉のないその庭に入り、彼の頭の上に、斜めに自分の傘を差し出した。「大丈夫?」
海パン・マシュマロは左手に持っていたプラスチックのボトルを恵莉に見せた。「シャンプーできるか、試してる」
――ただのバカ男子、発見。
けれど、うつむき加減で、空を覆う暗い雲と同じような目をした海パン・マシュマロがなんだか気になって、恵莉は言った。
「風邪、ひくよ」
「だいじょうぶ」
「シャンプー、できたの?」
「できた」
少年は右手で顔を何度か拭った。
「中、入ったら?」
「うん」
「タオル、ある?」
「中に、ある」
彼は恵莉の傘から抜け出すと、濡れたまま玄関の中に消えていった。
雷がひとつ鳴って、恵莉は六軒先の自分の家へと駆け出した。
近所とはいえ、四つ下で、しかも男子と女子では接点もなく、中学も高校も重ならず、そのうち恵莉は仙台の大学へ。戻ってきて地方のテレビ局に勤め始める頃には、海パン・マシュマロが東京の大学へ。
再会したのは二か月前だった。
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